吉田秀和さんの「好きなもの」

昨日、mmpoloさん(id:mmpolo)から「今朝の毎日新聞書評欄に吉田秀和の文章が載りました「好きなもの」というコラムで毎週日曜日著名人が1回限りで執筆します」とメールでお知らせを頂いた。全文を書き写していただいた上で。


短いコラムなので、全部紹介したいぐらい。

「「好きなもの三つ」という注文ですが、私は「うれしいこと」が好き。で、それを。」という書き出しで、「病院暮らしから解放されてうちに帰ったとき」「読んで楽しい読者の反応に接した時」「演奏批評をしていて楽しみは発見の喜び」という三つの“好きなもの”が紹介されている。相変わらずの文品。吉田秀和さんならではの文章にほれぼれする。文は人なり、とあらためて感じ入るのは吉田さんの文章を読む喜びである。


先年亡くなったピアニスト、フリードリッヒ・グルダの未亡人から「あなたの記事を読み、遠い日本でよくここまで洞察していられると、とても新鮮な印象を受けました。日本その他の国々の、大抵は音楽的なごく一般的な内容か、あるいは個人的印象か思い出話、彼を理解するにはほど遠いものが多かった中で、こういう感覚を持った方がいらっしゃるとということに大変うれしくなりました。」という手紙が届いた話は、ご自身が書いているとおり“自慢話”なのだが、吉田さんの自慢話は嫌みにならないのがお人柄である。日本公演で絶不調だった“世紀のピアニスト”ホロビッツを「ひび割れた骨董」と評し、その後のモスクワ公演で立ち直ったホロビッツ本人から「吉田に送ってくれ」と録音テープが届いた時という話をNHKで語っていた時にも、話の最後に「これは自慢話」と実にきれいなお顔で笑っていらした。決して居丈高にならない吉田さんの文章を知っている読者としては、それぐらいの自慢話はどうぞしてくださいと申し上げたくなる。


このコラム、“発見の喜び”についてこんな風に語られ全文が結ばれる。

発見は何も新しいものに限らない。私は便所にいろんな本を持ち込む癖がある。近年は論語。そこでこんな文章にぶつかった。「子曰知之者不如好之者。好之者不如楽之者。」すこし書き直してみると、「子は言う。之を知る人は之が好きな人に及ばない。之が好きな人は之を楽しむ人に及ばない」とでもなろうか。音楽評にも通じる話で知識ばかり開陳して結局何が好きかわからない文章。これが好きあれは嫌いと威張っている文章。好き嫌いでなくて楽しみを知る人の書いたもの。


僕の書くものは「これが好きあれは嫌いと威張っている文章」のレベル。そうか、楽しみを知る人の文章はそうはならないのか、吉田さんの文章とはそういうことだったのか、とまた平易な文章で人生の奥深さを教えていただいた。


ついでに名もなき読者の一人として書き記しておきたい。グルダベートーヴェンモーツァルトも、カラヤンブルックナーも、グールドのバッハも、ミケランジェリドビュッシーも、すべて私の音楽鑑賞の先導役は吉田さんでした。
mmpoloさん、本当にありがとうございました。