プラクティカルに考えよう

はてなRSSが新たに搭載した「キーワードウォッチ機能」はすごくいい。ためしに、僕が興味がある「吉田秀和」を登録したら、面白いブログをいくつも見つけることができた。

http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/
http://d.hatena.ne.jp/HODGE/


友達の友達は必ずしも友達ではないので、これをご覧いただいている方にはどうか分からないが、僕にとってこの二つは癖になりそう。


ところで、昨日はグーグルに代表される「米国のIT業界に対する嫌悪」という文句を書いたが、僕が嫌悪を抱いているのは彼ら自身の生き方や米国のIT業界のあり方自身ではないなあと、昨日の自分のエントリーと、それに関して取り上げてくれた『三上のブログ』を読みながら思い直す。どこを間違えたのだろうかと思案してみる。


米国のように優勝劣敗の原理にしたがってできあがっている社会のなかで、活き活と活動している人たちに対してそういう言い方は適切ではないし、ビル・ゲイツが慈善活動に後半生をかけるだとか、ボランティアや寄付を律儀に行うといった規範意識が人々のなかに植え付けられているシステムということに思いをいたすと、やはり問題は米国うんぬんではなく日本の原理原則の揺れ、社会的な流動性の低さといった方向に帰着するのではないかと思う。つまり、結局のところは米国流の経済原理が否応なく世界を覆おうとしているのに、それに対してプラグマティックな対応ができない日本のスタンスこそが問われるべきということだ。


僕自身は競争が常に善とは考えない、この点に関しては保守的な人間だが、問題はそれが善か悪かを議論することではなく、繰り返しになってしまうけれど、競争原理が国境を越えて世界に浸透している状況を踏まえて、自分らが直面する課題を整理し、プラクティカルに解いていかなければならないという覚悟と発想が政府から我々市民に至るまでこの国の中で希薄な点こそが問われるべきなのだ。


このとき、自分の問題としてではどのような処し方で状況に対応すればよいかを考えるに際して、『新潮』7月号の梅田望夫さんと平野啓一郎さんとの対談で梅田さんが見せたような問題への接し方は大いに参考になる。


しばらく以前に書いたとおり、この対談の中では「本は生き残るか」というトピックが提起され、興味深いやりとりがなされている。ここで平野さんは、本は残るかもしれないが、装幀などを気にしない人は廉価でダウンロードしてデジタル端末で本を読むようになるのではないかと主張するのだが、これに対し梅田さんは、この手のことをプラクティカルに考えていくには利害関係者の経済原理について把握する必要がある、スティーブ・ジョブスiPodの成功はそこにあると語って議論の流れを作る。これに引き続いて梅田さんが語る分析とそれに基づく意見は見事だ。


平野さんは豊かな想像力で可能性や問題点を指摘するのだが、梅田さんがそこで見せてくれた“プラクティカルな分析”がなければ議論は上滑りしてしまい、読者にとっては問題が収斂していく感覚からはほど遠いものとなってしまっただろう。梅田さんが日々のコンサルティングや投資の仕事中で活用しているであろうこうしたものの見方は、情報化の議論を議論のための議論で終わらせないためにはどうすればよいか、問題の掴まえ方を考えるときに大いに参考になる。