それは経済のゲームではなかった

去年の暮れ、僕は梅田望夫平野啓一郎の対談『ウェブ人間論』の感想をこんな風に書いた。梅田さんがネットの世界の経済活動は規模的には案外限りがあると発言し、それに対して平野さんが「そうですか。僕なんかが『ウェブ進化論』を読んだ感じでは、もっとそのペースが速くて、ネット世界での経済活動を含めた出来事のインパクトがどんどん大きくなるという印象でしたが」と驚く。『ウェブ進化論』を読んで新しい経済革命が起こりつつあるのだと受け取っていた僕も驚いたという話だ。ご用とお急ぎでない方は、どうか読んでやってください。

■もし梅田さんが『ウェブ進化論』でそれを言っていたら(2007年12月22日)


この点に関して、『ウェブ時代をゆく』では、“「経済のゲーム」より「知と情報のゲーム」”という二分法が提示され、よりはっきりとお金が回るのはリアルの世界だという見解が表明されている。

グーグルが何ものなのかをだいたい理解し、影響する経済についての規模感が「広告産業のサブセット」程度だとわかったとき、旧来型メディアの大半は「経済のゲーム」という興味を失っていくはずである。すでにその兆候は出始めているように思う。しかし現実には、これから本格的に「知と情報のゲーム」が始まる。(p48)

ウェブ進化は、経済や産業に直接影響を及ぼすインパクト以上に、私たち一人ひとりの日々の生き方に大きな影響を及ぼすものなのである。「経済のゲーム」のパワーで産業構造がガラガラと変わるのではなく、「知と情報のゲーム」のパワーで、私たち一人ひとりの心の在りように変化を促していく。「もうひとつの地球」の本質はそこにあるのだ。(p50)

その結果、現在の梅田さんの主張を要約するとすれば、例えば第2章にあるこんな表現になる。

チープ革命、受益者非負担型インフラ、情報の共有……。ウェブ進化のキーワードを並べてみればまさに、「貨幣経済の外側で活動する能力」がパワーアップされて、広く誰にでも開かれていく未来が見えてくる。お金をあまりかけずとも、「内面的な報酬」を求めて、能動的で創造的な行為における「好き」を貫く自由が広がるのだ。(p79)


ここで書かれていることと、梅田さんが彼のブログや、本書『ウェブ時代をゆく』の中で繰り返している「大きな企業に勤めるだけが人生じゃないよ。みんな、もっと多様な生き方を視野に入れたらいいのに」という趣旨の主張との間には、かなり距離がないだろうか。上記の引用部分には、梅田望夫のリサーチャーとして、フューチャリストとしての客観的分析力が如実に示されている。インターネットって必ずしも経済のゲームではないんだよ、と言い切ることによって、その状況分析の的確さは増しているように僕には思える。そして、こうした記述の範疇で収まるならば、池田信夫さんが「カルトっぽい」と苛立つ読者の熱狂が、すくなくとも今僕らが見ているような勢いで立ち上がることもなかっただろうと思う。