もし梅田さんが『ウェブ進化論』でそれを言っていたら(『ウェブ人間論』をめぐる覚え書き2)

そもそも僕らは、彼の生業である経営コンサルタントとしての梅田望夫さんをまるで知らない。彼を個人的に知る少数の知人、仕事で付き合いがある一部のビジネスマンを除けば、世の中のほとんどすべての人が、あくまで“『Web進化論』の梅田望夫さん”か、せいぜい“CNET Japanの『英語で読むITトレンド』の梅田さん”を見てきたに過ぎない。でも『ウェブ人間論』では、そんな梅田さんのコンサルタントとしての特質が全編を通じて感じられる。この点がとても興味深い。

第三章「本、iPod、グーグル、そしてユーチューブ」は、コンサルタント梅田望夫の素顔が垣間見える典型例。新しい媒体の事業化・産業化という話題そのものが彼の生業と地続きであるため、たとえさわりではあるにせよ、そこには梅田さんが常日頃お客さんを相手にしゃべる姿を彷彿とさせるものがある。そして、そのことに気がついたうえで、あらためて振り返ってみると、経営コンサルタントにとっては遠い話題であるはずの社会や人間を語りながら、この本のあちらこちらで相手を説得する商売を続けてきた腕っこきのコンサルタントの語り口がはっきりと表れているのに気がつくのだ。ただ、前回のエントリーの際にも書いたのだが、その様子はむしろ入念なお化粧を施される前の「新潮」誌上『ウェブ進化と人間の変容』の方が際立つ。こちらでは平野さんとのやりとりにもっと素の部分が見えるが、それはそれは見事なもので、こんなことを書くと本人には嫌われるだろうが、彼の普段の書き言葉よりも明らかに魅力に富んでいる。

そして、読んでみてあらためて思う。梅田さんはコンサルタント。プラグマティックな人だ。

昨日引用した第一章の最後の部分も梅田さんの現実主義的な姿勢が如実に表現されている部分である。「Web2.0」をとは言わないまでも、当然のようにネットという記号の旗振り役に徹するのかと思いきや、なんと「ネットとリアルは共存共栄ですよ」とのたまい、見事に不意打ちの一撃を食らわせる。マスコミやIT業界が挙げて「Web2.0」を担ぎ、飯のネタにするべく汗をかいている最中に、いや、ネットにだってそれなりに限界はあるんですよ、とさらりと言ってのけるのだから実に食えない。昨日のエントリーで引用した部分について、『ウェブ進化論』の読者は唖然としなかったのだろうか。僕自身は正直驚いた。言われてみれば、なるほど梅田さんならそう言うかもしれないと思うばかりだが、「その発言って、ちょっと反則じゃない」と思う人だってたくさんいるはずだ。いや、もし、それなりに『ウェブ進化論』に感銘を受けたという人であれば、そうであってしかるべきだとも思う。

だって、もし、『ウェブ進化論』の中で、例えば「(アドセンスのようなインターネット広告の規模は)ただ、やっぱり経済全体から見れば限定的だという視点もあわせて大切だと思うんです」(『ウェブ人間論』p95)とでも書いてご覧なさい。そんなひと言があの書物のどこかで披瀝されていたら、40万部(!?)というビジネス書としての驚異的なベストセラーは存在しなかったのではないか。

つい先日、仕事に関係した立食パーティで、ある著名コンサルタントがビジネスマン相手におしゃべりをしているのを少し離れたところで聞くともなしに聞いていたのだが、このコンサルタント氏の言葉の中に「梅田望夫さんが『ウェブ進化論』の中で「あちら側」と「こちら側」という表現で…(雑音で聞こえない)してたじゃないですか。ああいう表現を聞くと、今まで分からなかったことがそれでぱっと分かるところがありますよね」といったフレーズがはさまっているのが僕の耳に届いてきた。

この「あちら側とこちら側」、それに「情報発電所」などの言葉に痺れたのは、グーグルのことを今までまったく知らなかったような読者ではなく、ある程度ITにかかわる立場にある人たちや、上記のコンサルタント氏のように常にITの産業や社会への影響を考え続けている人たちではなかったかと僕は想像する。その中でも技術よりの人たちは、そんなネーミングの妙ではなく、もしかしたら、オープンソースや分散コンピューティングの実用化といった視点に動かされたといったことはあったかも知れない。

しかし、『ウェブ進化論』が著者さえ予想しなかった40万という途轍もない数の読者を魅了したのは、そうしたおしゃれな概念規定と、次々に繰り出される刺激的なトピック間の関係を分かりやすく解きほぐして収まるところに収めた知的な力業に多くの読者が魅せられたからなのではなく、「アドセンスでお金が稼げる」、「貨幣価値に隔たりがある発展途上国なら、それがけっこうな収入になる」といった記述内容が、あちら側の世界に自分自身も関与できる実利の新しい沃野が急速に広がるというイメージを読者の心の中に喚起したからではないかと思う。そうしたイメージに心がわくわく感で満たされた人々のロットが数十万人ということではなかったか。平野さんも梅田さんの発言に対してこんな風に反応している。

平野:そうですか。僕なんかが『ウェブ進化論』を読んだ感じでは、もっとそのペースが速くて、ネット世界での経済活動を含めた出来事のインパクトがどんどん大きくなるという印象でしたが。
(『ウェブ人間論』p95)

あらためて『ウェブ進化論』を斜め読みしてみると、梅田さんは確かにネットが全てだという断定をしているわけではない。だが、平野さんがそう読んだように、多くの読者にとって『ウェブ進化論』はそうした当然の早とちりを促される仕掛けに満ちていた書物だった。それは単純に梅田さんの筆が滑った結果だったのか、あるいは確信犯的な行いだったのか。もちろん後者だろう。思うつぼにきれいにはまって早とちりをした読者たちに対し、日本の出版界やジャーナリズムが「ウェブ2.0」コンテンツをこれでもかと繰り出している状況の中で、梅田さんがこういう発言を繰り出してきたということは、要は『ウェブ進化論』で彼が試みた捨て身のアジテーションがこの上なく効果的に機能したということを示している。たしかに早とちりを諫める時期に来たのだ。