鬱と音楽


2年近く続いたんじゃないかと思うが、少し前に軽い鬱に悩まされる時期があった。おそらく典型的な「ミドルエイジ・クライシス」なのではないかと思う。転職し、仕事に関する環境が激変して、それまでのように思い通りにことが進まない。そうこうしているうちに、どうも自分は駄目なんじゃないかと思い始める。いらいらが募り、今の自分と今の自分につながるあらゆる昔の思い出が厭わしくなっていく。


これはちょっと変なのではないかと思い、精神科の先生を思い切って訪ねたら、それから月に一度のカウンセリングを受ける仕儀と相成った。正式な病名は何なのだろうと思って先生に聞いたら「強いて言えば」となんだか難しい漢文脈の単語をおっしゃっていたが、要は軽めの鬱であることは間違いないようだった。抗うつ剤を処方してもらい、それが効果てきめんだったから。僕のような軽度の鬱だと誰が見ても普通に仕事をしているし、会社を休むわけではないし、家族にも会社の同僚にも周囲には決してそれとは感知できないはずだ。本人だけは青息吐息の心境なのだが。あれで軽いとすると、重い鬱とはどんなに耐え難いものなのだろうと恐ろしくなる。


今思い出しても嫌なものだけれど、この時期には音楽を聴いたり、本を読んだりすることがぱったりと出来なくなった。たぶん人によって症状は違うのだろうが、僕の場合は音楽と本。二つの趣味を直撃し、それらを楽しめなくするかたちで鬱は現れた。


ほとんど音楽は聴かず、本も読めずという状態から少しずつ回復した際に指標となったのも音楽だった。最初に聴けるようになったのは、バッハ以前の音楽。バッハのパルティータや平均律のようなキーボード作品、コレルリのヴァイオリンソナタのような静けさに満ちた曲を少しずつ聴く機会が増えていった。そしてハイドン弦楽四重奏曲。モザイク弦楽四重奏団が弾くハイドンのOp.20はその時分の心のトーンと不思議な共鳴をした。それからそれまで聴いたことがほとんどなかった物静かなジャズ。渡邊貞夫のサックスが胃の腑にしみた。


これらの音楽に僕は大きな感謝の念を抱いている。おそらく、回復の里程標であると同時に回復を助ける役割をしっかりと果たしてくれたはずだから。