スタン・ゲッツを聴きながら

ジャズを時々聴くようになってまだ1年少々。未だに誰が誰だか分からない、演奏の善し悪しも判然としないのが状態で、知識もセンスもない末端リスナーだが、そうは言ってもこれはよいと思えるアーティストが出てくるのも事実だ。その1人がスタン・ゲッツ。彼のメロディーは自分が知っている狭い範囲だが、その範囲で知っている奏者とは違うものを放射しているように感じられる。それを言葉に出来ないところが、未だにジャズを分かってきているのではない証拠だと思うが、どんな音楽に比べても自由なジャズの中でも彼の音楽はより自由な何かを表現しているように聞こえるのだ。

クラシックファンとしてジャズの正体のなさ、即興性は大いなる脅威である。クラシックの同じ曲のCDを違う演奏家で何枚も揃えて聞き比べる自分が、単なる教条主義的音楽の信徒ではないかとふと感じてしまうのはたまにジャズを聴いた後だ。クラシックで有名曲を異なる演奏家で繰り返し聴く理由は何か。演奏家の独創性を聴きたいのなら、ジャズを聴くべきではないか。いえいえそうではありません、神は細部に宿るのです、とクラシックオタクである自分が反論するのだが、そう思わせるものが間違いなくジャズの演奏にはある。

今晩はワールドカップの日本対クロアチア戦。競合相手にどんな試合を見せるのか楽しみに待ちましょう。