ウィーン弦楽四重奏団リサイタル

今日はミューザ川崎にウィーン弦楽四重奏団を聴きに行ってきた。かつてのウィーン・フィルコンサートマスター、ヴェルナー・ヒンクが1960年代に立ち上げた名アンサンブル。この手の名の知れたカルテットの例に漏れず、長く演奏する間にメンバーは変わっているが、ヒンクさんは70代にしてまだ現役である。よし、一度聴いてこようと出かけてきた。
曲目は、ハイドンの「鳥」、モーツァルトの「狩」、シューベルトの「死と乙女」というタイトル付き名曲3連発だった。

で、演奏会の感想だが、これはなかなか曰く言い難い類の2時間だった。ここ2年ほどは気に入らなかった演奏会の感想文を載せるのはよしておこうと考えて、その種の文章はここには載せてこなかったが、まあいいやと思い直し、今日はちょっとだけ紹介する。

結論を言えば、リーダーのお歳がお歳なので、なかなか水準に達した演奏にならず、これでお金を取るのはどういうもんじゃろのうという出来だった。

ヒンクさんは音量がなく、ダイナミックな表現ができなくなっているし、リズムもはずまないし、音程が少々怪しい箇所が頻出する。とくに前半の2曲は、第一バイオリンが旋律をリードする曲なので、リーダーがそんな具合だと曲が前に進まない。残りの3人はヒンクさんのボリュームのなさに合わせざるを得ず、勢いよく伴奏のパートがクレッシェンドするわけにもいかず、全体が遠慮がちで小さな演奏になってしまう。後半の「死と乙女」では、冒頭の暴力的な出だしは、ウィーンのカフェで典雅なメレンゲを前にまったりと倦んでいるような風情となり、曲が進行してもドラマは起こらない。

曲が終わるたびに盛大な拍手は飛んでいたが、あれはどういう意味の拍手だろう。私のような社交辞令の覇気のない拍手も混じっていただろうが、あの演奏がよいという本物の拍手もあっただろうし、演奏はよくなくても彼らが弾いただけで満足というオールドファンの拍手も少なくなかっただろう。この日の会場は、平均年齢が高めの最近のクラシック音楽のコンサートの中でもとびきり高めに感じられたので、最後のカテゴリーは案外多かったのかもしれない。

ウーロン茶で乾杯

一昨日は退院後初めて夜の時間帯に出かけてきた。
瀬川さんと下川さんの呼びかけに乗せて頂き、川崎の中華料理店での宴会。手術をした後、こうした場所に来るのは初めてで、生れてはじめての、お酒を飲まない飲み会。ご飯も少々口に入れた程度だが、1時間半の間、集まった皆さんとのおしゃべりを存分に楽しんできた。
やはり、シュンポシオンは楽しい。

選挙が終わった

衆院選が終わった。ともかくも節操のない政党が票を採れなかったのは慶賀の至りである。東京都議選からたった3か月でオセロゲームが起こったことになるが、あれはそもそもかつての民主党の政権取りと一緒で、ムードに乗っかった期待票を取りすぎていただけなのだから、ムードに乗って票を落としても仕方ない。結局、どぶ板を踏んで、握手をして回って、電話をかけまくって、お友達を勧誘して、という昔ながらの日本的選挙の掟を踏襲した党がしっかり得票し、無党派層のうち保守的な人たちは、みどりのたぬきならまだあべちゃんの方が信用できるわと自民党に投票して与党大勝ちとなり、無党派の左派層からは立憲民主党に一定の票が流れて、なんと野党第一党になった。という選挙だった。で、半分近い有権者は選挙に行っていない。

なんも変わりそうにない気がする。

日本とは何の関係もない話だが、遠く欧州のドイツでは9月の総選挙で極右政党がかなりの議席を取り、政権党で保守のCDU/CSUは、中道右派のFDPのみならず、左派の緑の党と初めて連立を組む話し合いを始めている。それぞれの政党のイメージカラーがそれぞれ黒、黄、緑なので、その3色が国旗であるジャマイカになぞらえて、かの地のマスコミは「ジャマイカ連合」などと呼んでいる。なんともダサい比喩だが、それもドイツっぽい。

1980年代から水と油の関係だった政党同士が連立を組めるのかどうかということで、話題と議論沸騰の模様だが、日本と違って立派だと思うのは、中東の難民受け入れに伴う税金の問題、環境問題の核であるエネルギー政策などと論点がくっきりとしており、マスコミも論点ありきの報道を続けているところだ。

こういうのを見ていると、議論がないままに代表預かりの実質解党が決まるだとか、税金の扱いを議論しないままになんでも国民のためにやりましょうと皆が声高に叫ぶだとか、大きい政府か小さい政府かの議論なしに二大政党制を実現しようだとか、さっぱりわけがわからない日本の政治はどうなっているんだろうと思わざるを得ない。

このブログで政治にまつわる与太話をしても仕方がないとは思うが、これではまずいと思っているんだよということは言っておきたくなったので。まだ何十年も人生がある人たちにはしっかりと考えて欲しいよ。

明日は選挙だ

明日は衆議院議員選挙だ。
政治的信条に無自覚な典型的ノンポリ無党派層の私は、「〇×党ーっ!、きゃー!」みたいな感情はどちらの政党にも持っていないので、選挙の時は政権与党が無茶をできない程度に節度を保ってもらうために、野党で勝負できそうな候補者に一票を入れる、あるいは、重要な争点となる政治課題があるときは、その是非で一票を入れる、というような感じで投票をしてきた。それを方針と呼ぶとすれば、立派な方針の下にきちんと投票を行ってきたともいえる。

そして、今回の選挙では財政再建をしっかりやります、と言う党に一票を入れようと考えていた。

今を去ること36年前になるのかしら。大学生の私はある週刊誌でアルバイトをしていた。その時にたまたま日本の財政、国債の積み上がりを危険視する記事のチームの手伝いをやらされ、去るこの道の専門家に電話取材をしなければならなくなった。文学部の学生だった私は日本経済のことなど何もわからず、何もわからないままに、質問の意味さえ不確かな質問をでっちあげ、その専門家に電話取材を試みた。

専門家とどんなやりとりをしたのかは具体的には記憶にないが、インタビュー自体が冷や汗ものだった感触はじんわりと残っている。そういう感触は得てして残るものだ。しかし、専門家は素人の若造にも非常に懇切丁寧で、たいへん分かりやすい説明をしてくれたはずで、彼が最後に語った一言が何故だか記憶に残った。
「このままだと20年後、30年後には日本と政府は大混乱ですよ」
専門家はそう言ったのだ。

専門家は、だてに専門家ではなかった。日本の財政の問題は10年、20年と経つごとにどんどん悪くなり、ニュースのネタになり、大きな問題だと誰もが言うようになった。30年経って、それはますます悪くなった。だから、40年目にはさらに悪くなるだろうし、50年後にはもっと悪くなるのではないかと心配してみるが、不安は増しても本当にどうなるのかは素人に分かろうはずがない。今日の経済学者やエコノミスト、経済記者の中には、日本の赤字は民間資本の積み上がりが大きく、安全で破綻しないというようなことを言う人たちがいて、じゃ、このまま心配しないでいいのかなと、ふと思わされたりするが、別の専門家は、そのうちにヤバいことになると言う。どちらが正しいのかはまるで分らない。

どちらが正しいのかは分からないが、世界各国を見渡して、その数字が特異であることは間違いない。そして高齢化が進んで社会保障費がロケット・ハイの状態になりつつあることも疑いない。だから、社会保険料の負担基準だとか額だとかを見直すとか、消費税の導入だとか、その税率のアップだとか、静かにできる範囲で処置はちゃんと続いていて、やっぱり財政がこのまま悪化していっていいということはないから、少しづつ是正してきましょうということを歴代政府や財務省はやってきている。やっぱりヤバいんだよ、きっと、と私は思っている。

なのに。今度の選挙は消費税を上げると言っていた与党が、そこから借金返済に回さないで教育目的に使うと言い出し、同じ保守のみどりのたぬきの党は消費税は上げないといい、もう一つの保守党は、消費税を上げる前に行政改革だと言って、やはり先送り派だし、分けわからん民主党から昔の社会党に戻った、かつて言うところの革新政党は消費税は上げないというが、そもそも経済政策はたぬき党同様で選挙民にあんまり説明がないままだし、共産党共産党だし、みーんなみんなポピュリストだ。財政再建をどうしようという議論が、せっかくの選挙なのにほとんど何もない。

私自身は先がどれほどあるか知れない身なので、関係ないと言えば関係ないが、子供の代、その子供の代、さらに続く世代に禍根を残さないために選挙の時ぐらい、もっと長い視点でこの国をどうするのかについて考えを聞きたいし、そうした議論を聞きたい。原発だってそうで、原発怖いではなくて、30年後のエネルギー供給をどうするんだ、化石燃料を燃やし続けて炭酸ガスを出し続け、地球の温暖化を進めていることとのトレードオフをどう考えるんだ、みたいな話を選挙の時ぐらいしつこいぐらい繰り返して聞きたい。

なんてことを考えると今回の選挙は、常に増して投票する政党がない。個別に候補者を見て、耳当たりのよい理想を語るだけの候補者から×をつけていって、できるだけ具体的な政策を語れる人を残すという風に考えるしかないと思っているが、その政策の先に私の理想とは異なる世の中が実現されるような候補者しか残っていなかったら、さて、どうしよう。

ノット指揮東京交響楽団のハイドン、モーツァルト

前日まで熱が出たり、胃痛が続いたりして、これはコンサートに行くのは無理かなと思っていたら、朝起きると予想に反して気分はすっきりとしており、初台のオペラシティまで出かけてきた。

ノット指揮東京交響楽団のこの日の出し物は、ハイドン交響曲第86番、チェロ協奏曲第1番、モーツァルト交響曲第39番という古典派の名曲集。タケミツホールの舞台裏の席に陣取ったのだけれど、すぐ下の舞台から立ち昇るオーケストラの音に包まれて、上等の時間を過ごすことができた。チェロ協奏曲のソロは、イェンス=ペーター・マインツ。この人はドイツ・カンマーフィルと入れたハイドンのチェロ協奏曲の録音がある。

ハイドンモーツァルトの音楽をライブで体験するのは、それだけで楽しい。楽しいというか、音楽が鳴っている最中に体の細胞がじんわりと活性化し続けるような、混じり気のない高揚感を覚える特別な時間になる。もちろん、そのためには演奏が平板では駄目。平凡な演奏では決して満足に達しないのが、聴き慣れた古典の名曲の気難しいところだろう。ノットと東響は、このハードルをやすやすと越えてくれるだろうと期待して買ったチケットに間違いはなかった。

私の場合、天上の音楽であるモーツァルトハイドンのイメージは、ベームカラヤン、その一世代下の指揮者の録音で形成されているので、アーノンクールやホグウッド風の古楽器的スタイルの流れが主流の今のモーツァルトに、必ずしもうまく乗っていけない部分があったりするのだが、ノットの場合、その辺りの様式に対する感性が非常にオーソドックス、かつ先進的、と言いたくなる絶妙の塩梅を聴かせてくれるのだ。ヴィヴラートは効かせないスタイルだが、リズムが溌溂として、自発性が高く、しかし20世紀のモーツァルトの伝統の上に乗って、音響以上に柔らかく自然な流れを作る。保守的リスナーにも、革新好きにも同時にアピールする音楽だと思った。イェンス=ペーター・マインツのチェロも構えが大きくて、素晴らしい演奏だった。

それにしても東響のメンバーは若い。自分より歳のいった演奏家は一人もいそうになかった。クラシック、ポピュラーに限らず、日本人の音楽センスは世代が下るほどに洗練されてきたと思う。

一方、舞台裏の席からオーケストラの向こうに広がる客席を見渡すと、今度は自分よりも若い人の数はかなり少なく見える。一般的に言って、ピアノの演奏会はもっと平均年齢が若いだろうし、オーケストラのコンサートでもマーラーではもう少し多くの層に広がる気がする。今頃モーツァルトハイドンだけしか演奏されないコンサートに来たがる層は、そういうことになってしまうのだろうか。そして、演奏家と楽団にとっては残弾だったろうことに、この日の客席は、ノットと東響の演奏会では今まで見たことがないほど空きが目立った。

ジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』

バッハの対位法に基づく音楽は実に難解であり、そのロジックを勉強したことがない私のような素人が味わえる部位は限られている。とくにそれを思うのは、その種の音楽として傑作と言われる『フーガの技法』を聴くときで、人好きのするメロディがあるわけでもなく、情緒に媚びる態度がまるでない音楽を前にすると、ひたすら入り組んだ音の迷宮に連れて行かれるような気分がして、若い頃はほとんど聴く気分にならなかった。それに比べると同じ対位法による傑作でも『ゴルトベルク変奏曲』や『音楽の捧げもの』は、主題がメロディックな分、随分ととっつきがよく、それなりに楽しんできたが、とはいえ、やはり自分が理解できる範囲の外で音楽が形作られており、鳴っているものを十全に味わえることができていないという点では何ら変わりはない。バッハの後期の鍵盤音楽は、私のような“ながら試聴”をする者を拒絶する。そんな風に感じられ、遠巻きに眺め、ときどき拝聴させていただく存在であった。

そもそもバッハは、複数のメロディがそれぞれ生き物のように動くホモフォニーの音楽であることだけで素人には難しい。ピアノを勉強している人なら、子どもの頃から『インベンション』などに親しんでいて、3声を自然と聴き分ける訓練ができているだろうから、複数の旋律線も自然と頭に入ってくるだろうが、自分にはその作業自体が簡単ではない。「作業」と書いたけれど、3声になると、バスはこう動いている、中声部はこれだと、繰り返し聴きながら、個別に意識を集中して追わないと、然るべく聴こえてこない。『音楽の捧げもの』のように6声などとなると、別次元の存在であり、悲しいかな、聴いてとらえようとしても、果たしてどういう風に聴けばそれを追えるのかがまるでつかめず、呆然とするしかない。

バッハは楽譜を読む作業をしないと理解もできないし、面白くもない部分があるということは、若い頃から感覚的に理解していた。音符をあらかじめ確認し、旋律の動きを少しでも頭に入れたうえで実際の録音を聴けば、なるほど音楽が立体的に聴こえてくる。逆に言えば、作品のごく初歩的な理解を進めるためですら、音符を読む必要が出てくるのがバッハである。他の作曲家の作品だって事情は同じかもしれないが、モーツァルトベートーヴェンマーラーならば、追える旋律を追うだけで、素人リスナーの感情は容易に音楽につかまってしまう。バッハだと、そうなるとは限らない。

鳴っている音を拾うことすら満足にできないのだから、複数の旋律の動きに厳格なルールを適用するカノンなどの対位法作品を聴くのは、悲しいかな、はるかかなたのお星様を眺めているようなものだ。ぼんやりと、自分に見えるものだけが見えている。そこに宇宙を見るようなめくるめくような感覚を覚えるときにはバッハの音楽に引き込まれる思いがするが、自身の無力が嫌になることだってある。

それでも、何故かバッハを聴きたくなる。とくに4月に2ヶ月の入院を伴う手術をして以来、バッハ、とくに鍵盤曲を聴くことがとても多い。退院した後にCDプレイヤーを新調したこともあり、ここしばらくCDをかけ続けているのだけれど、我が家に数枚づつある『ゴルトベルク変奏曲』と『フーガの技法』などの盤を、とっかえひっかえプレイヤーのトレイに載せる機会が増えた。

そうすると、他のいくつかの演奏家とともに、どうしてもグールドの演奏が心に刺さり、本棚から宮澤淳一さんのグールド論を出してきて部分的に読み直すことをしたり、今まで無視していたCDのライナーノーツを虫眼鏡を取り出して一所懸命に拾い読みしたりすることになった。そこで音楽を聴く楽しみは自然と補強され、バッハの音楽が少し近づいてくる気がする。とことん突き詰めるなどということは考えずに、自分なりに理解できる範囲で、理解したいことを少しだけ受け取って、あぁなるほどと思ったりする。そんな、バッハをめぐる時間をしばらく過ごしてきた。

そんな、ゆるい情報収集にともなって立ち上がる、ゆっくりとした時間の中で、今まで知らなかった多くの情報に触れて感心したのがジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』という白水社の本だ(素晴らしい翻訳は松村哲哉さん)。

彼の時代には、すでにカノンなど対位法の音楽は時代から取り残されつつある存在で、バッハがそうした当時ですら古くさいとみられはじめていた形式にこだわった人物だったという話は音楽ファンにはよく知られているるはず。以前読んだ音楽エッセイなどには、バッハは田舎にいたから、最新の音楽の最新の流れを理解しておらず、それでひたすら古い様式の音楽しか書かなかったというニュアンスのことが書かれていたが、ゲインズさんの著作を読むと、そうした理解はまるで真実ではないらしい。バッハはフランスを中心に勃興している、いわゆる「ギャラント様式」の存在や意義を知らなかったのではなく、ギャラント様式に意識的な抵抗を試みた人物であった。本書によると、彼はごく若い頃、リューネブルクで勉強をしていた頃に欧州各国で書かれているさまざまなスタイルの譜面を勉強していたし、リュリ、クープランなどフランスのギャラント様式の作曲家の作品に接していた。その後も人生を通じてヴィヴァルディなど当時の最新の人気作家の楽譜を集め、研究を行い、ドイツ国内のギャラント様式の担い手であるテレマンなどとは親交があった。後年、ギャラント様式の代表選手となる息子のカール・フィリップエマヌエル・バッハテレマンが名付け親だ。

当時の音楽メディア(というものが、江戸時代初期に当たる当時のドイツにあったということが驚きだ)では、バッハ賞賛の言質が存在する一方、その音楽に対し、古臭い、衒学趣味であるとする批判がすでに行われていたのだという。『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』の中では、聖トーマス教会でオルガニストをバッハから引き継いだヨハン・アダム・シャイベが残した『批評的音楽家』誌に掲載されたバッハ批評の一部が次のように紹介されている。

楽曲を作る際、親しみやすさをもっと重視し、仰々しく混乱した音楽様式を用いず、過度の技巧を弄してあっ曲の自然な美しさを奪うようなことをやめれば、バッハはあらゆる国々の人々から賞賛を受けるであろう。……バッハは、装飾を加えるにしても、ちょっとした優しい表情をつけるにしても、すべてを音符のみで表現しようとする。そのためハーモニーの美しさが聞き取れないばかりか、メロディーを覆いつくしてしまう。すべての声部が常に絡み合い、しかもどの声部も込み入った作りになっているため、何が主旋律なのかさっぱり判別がつかない。……あまりの仰々しさゆえに、彼の音楽は自然さと気品を欠き、人為的で重苦しいものとなる。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P224)

バッハはそれらの批判を認識しつつ、新しい様式の隆盛を知悉しつつ我が道を歩いたということのようなのだ。

しかしバッハは、そうした楽曲を研究し自作に取り入れただけでなく、多大な「影響」を受けた。ヘンデルテレマンのような同時代の作曲家たちは、ある特定の音楽様式の範囲内で、その分野を代表するような最高の作品を作るという野心を抱いていたが、彼らとは違い、バッハはさまざまな音楽様式を解体したうえで、自由な着想、見事なオーケストレーション、さらには対位法といった自分が得意とする要素や技法の助けを借りて、音楽そのものを根本から再構成したのである。特にヴィヴァルディ作品と出会い、その構成力や旋律美に触れた際には、元の作品のさまざまな要素を利用してより大きな作品を作り上げただけでなく、まったく新たな作品に生まれ変わらせたと言って良いだろう。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P153)

本書は、『音楽の捧げもの』という名曲をめぐるバッハとフリードリッヒ大王の対決をクライマックスに据えて、あたかも二つの旋律を奏でるように両者の人生を交互に語りながら、バッハと、プロイセン国王として後世に名を残すとともにフルート奏者としても知られていたフリードリッヒ大王それぞれが代表する対照的な価値観、世界観をあぶり出していく。著者はアメリカのジャーナリストだが、読み物として面白いだけでなく、巻末には詳細な参考文献リストがあげられており、当時のドイツの政治状況、風土、音楽の社会に持つ意味、バッハとフリードリッヒ大王をめぐる人間関係など学者並みの調査を基に的確な説明が散りばめられているのに感心する。対位法やカノンの説明も具体的になされていて分かりやすい。その内容の厚みに感動といってもよい程の感銘を受けた。繰り返しになるが、翻訳の日本語が実にこなれていて素晴らしい。安い本ではないが、バッハとノンフィクションが好きな人には「ぜひ読んでみてください」と言いたくなる一冊である。


「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王

「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王

ノット+東京交響楽団の細川俊夫『嘆き』、マーラー交響曲第2番『復活』

2ヶ月の入院など思いもよらなかった頃に購入していた音楽会のチケットのうち、5月に楽しみにしていたブルックナー5番の2つのコンサートは問答無用でキャンセルとなってしまった。人づてに聞くと、ともにいい夜だったようなので口惜しい思いをしたが、7月15日(土)夜のノットと東響の『復活』は久しぶりの生の音響に、思う存分揺さぶられてきた(於:ミューザ川崎)。

いい演奏会だったか? それは、とても。

何がよかったかといって、自分にとっては、生演奏の迫力に久しぶり立ち会えたことだろう。それだけで幸せなひと時だったが、指揮者が極端なまでな要求をぶつけ続け、それに対し演奏家が力の限り応えようとするという場面が次々と現れるこの日の演奏は、ほとんどすべての聴衆にとってスリリングな体験になったのではなかったかと思う。

この日のノットの指揮は、曲の様々な場所に作られたクライマックスで、オーケストラからあらん限りの詠嘆や絶叫を引き出そうとしていた。そもそも音量の振幅が大きい曲なのに、そのフォルテシモの凄絶さにはビビる。1回限りの生演奏でなら耐えられるが、録音で何度も聴くのは胃にもたれたり、飽きられたりということがなきにしもあらずのレベルだったので、ことさら「あぁ、生だなあ」と思ってしまったことだ。それに対してポジティブに反応するか、「やり過ぎだ!」と冷ややかな目を向けるかは、この曲に何を期待するのかで真反対になりそう。

それにしても、この日のノットは、どうしてそこまでやったんだろと言いたくなる激情型のアウトプットを目指した。過去にこのコンビで接した演奏会だと、『運命』やシューマン交響曲第2番など、通例よりも躍動的でスピード感が全面に出る演奏はいくつも聴いたが、タガの外し方はそれらとは桁違いで、同じマーラーでも、過去に聴いた9番、3番はもっと抑制的だったから、2番の曲想からして面食らうほどではないにせよ、「ほー」とは思った。

東響との関係に深化を感じたノットさんが、オーケストラに信を置いた上でのトライだっただろうが、ただ、演奏自体は必ずしも十分に柔軟なドライブがなされているというところまではいかず、各パートでもう少し余裕があればと思わされる瞬間が流れていく。翌日に、同じプログラムの演奏会が同じ会場で予定されていたので、おそらくそっちの方が、2度めの演奏の余裕が加わって聴き応えが増す演奏になるんじゃないかと終演後に思ったが、さてどうだっただろう。

それにしても、体調が回復しかけの、ホールにやっとたどりつく程度の体力しかない病人の耳に届く『復活』は、ギラギラとした生きるエネルギーが凝縮された曲だった。悲劇的な装いの第1楽章を含めて、曲の核にある強さ、自己肯定感にタジタジとなりながらの1時間半だった。とくに、『復活』の前に演奏された細川俊夫の『「嘆き」ーメゾ・ソプラノとオーケストラのための』という曲が、自死したドイツ表現主義の詩人、ゲオルク・トラークルという人の厭世的な手紙の一節をメゾソプラノが歌う(当日は藤村実穂子さん)、聴いてみると実に暗い、救いのない文学的なテキストを下敷きにした、冬の日の陰鬱な日本海を望むような作品だっただけに、そのコントラストは強烈だった。