明日は選挙だ

明日は衆議院議員選挙だ。
政治的信条に無自覚な典型的ノンポリ無党派層の私は、「〇×党ーっ!、きゃー!」みたいな感情はどちらの政党にも持っていないので、選挙の時は政権与党が無茶をできない程度に節度を保ってもらうために、野党で勝負できそうな候補者に一票を入れる、あるいは、重要な争点となる政治課題があるときは、その是非で一票を入れる、というような感じで投票をしてきた。それを方針と呼ぶとすれば、立派な方針の下にきちんと投票を行ってきたともいえる。

そして、今回の選挙では財政再建をしっかりやります、と言う党に一票を入れようと考えていた。

今を去ること36年前になるのかしら。大学生の私はある週刊誌でアルバイトをしていた。その時にたまたま日本の財政、国債の積み上がりを危険視する記事のチームの手伝いをやらされ、去るこの道の専門家に電話取材をしなければならなくなった。文学部の学生だった私は日本経済のことなど何もわからず、何もわからないままに、質問の意味さえ不確かな質問をでっちあげ、その専門家に電話取材を試みた。

専門家とどんなやりとりをしたのかは具体的には記憶にないが、インタビュー自体が冷や汗ものだった感触はじんわりと残っている。そういう感触は得てして残るものだ。しかし、専門家は素人の若造にも非常に懇切丁寧で、たいへん分かりやすい説明をしてくれたはずで、彼が最後に語った一言が何故だか記憶に残った。
「このままだと20年後、30年後には日本と政府は大混乱ですよ」
専門家はそう言ったのだ。

専門家は、だてに専門家ではなかった。日本の財政の問題は10年、20年と経つごとにどんどん悪くなり、ニュースのネタになり、大きな問題だと誰もが言うようになった。30年経って、それはますます悪くなった。だから、40年目にはさらに悪くなるだろうし、50年後にはもっと悪くなるのではないかと心配してみるが、不安は増しても本当にどうなるのかは素人に分かろうはずがない。今日の経済学者やエコノミスト、経済記者の中には、日本の赤字は民間資本の積み上がりが大きく、安全で破綻しないというようなことを言う人たちがいて、じゃ、このまま心配しないでいいのかなと、ふと思わされたりするが、別の専門家は、そのうちにヤバいことになると言う。どちらが正しいのかはまるで分らない。

どちらが正しいのかは分からないが、世界各国を見渡して、その数字が特異であることは間違いない。そして高齢化が進んで社会保障費がロケット・ハイの状態になりつつあることも疑いない。だから、社会保険料の負担基準だとか額だとかを見直すとか、消費税の導入だとか、その税率のアップだとか、静かにできる範囲で処置はちゃんと続いていて、やっぱり財政がこのまま悪化していっていいということはないから、少しづつ是正してきましょうということを歴代政府や財務省はやってきている。やっぱりヤバいんだよ、きっと、と私は思っている。

なのに。今度の選挙は消費税を上げると言っていた与党が、そこから借金返済に回さないで教育目的に使うと言い出し、同じ保守のみどりのたぬきの党は消費税は上げないといい、もう一つの保守党は、消費税を上げる前に行政改革だと言って、やはり先送り派だし、分けわからん民主党から昔の社会党に戻った、かつて言うところの革新政党は消費税は上げないというが、そもそも経済政策はたぬき党同様で選挙民にあんまり説明がないままだし、共産党共産党だし、みーんなみんなポピュリストだ。財政再建をどうしようという議論が、せっかくの選挙なのにほとんど何もない。

私自身は先がどれほどあるか知れない身なので、関係ないと言えば関係ないが、子供の代、その子供の代、さらに続く世代に禍根を残さないために選挙の時ぐらい、もっと長い視点でこの国をどうするのかについて考えを聞きたいし、そうした議論を聞きたい。原発だってそうで、原発怖いではなくて、30年後のエネルギー供給をどうするんだ、化石燃料を燃やし続けて炭酸ガスを出し続け、地球の温暖化を進めていることとのトレードオフをどう考えるんだ、みたいな話を選挙の時ぐらいしつこいぐらい繰り返して聞きたい。

なんてことを考えると今回の選挙は、常に増して投票する政党がない。個別に候補者を見て、耳当たりのよい理想を語るだけの候補者から×をつけていって、できるだけ具体的な政策を語れる人を残すという風に考えるしかないと思っているが、その政策の先に私の理想とは異なる世の中が実現されるような候補者しか残っていなかったら、さて、どうしよう。