選挙が終わった

衆院選が終わった。ともかくも節操のない政党が票を採れなかったのは慶賀の至りである。東京都議選からたった3か月でオセロゲームが起こったことになるが、あれはそもそもかつての民主党の政権取りと一緒で、ムードに乗っかった期待票を取りすぎていただけなのだから、ムードに乗って票を落としても仕方ない。結局、どぶ板を踏んで、握手をして回って、電話をかけまくって、お友達を勧誘して、という昔ながらの日本的選挙の掟を踏襲した党がしっかり得票し、無党派層のうち保守的な人たちは、みどりのたぬきならまだあべちゃんの方が信用できるわと自民党に投票して与党大勝ちとなり、無党派の左派層からは立憲民主党に一定の票が流れて、なんと野党第一党になった。という選挙だった。で、半分近い有権者は選挙に行っていない。

なんも変わりそうにない気がする。

日本とは何の関係もない話だが、遠く欧州のドイツでは9月の総選挙で極右政党がかなりの議席を取り、政権党で保守のCDU/CSUは、中道右派のFDPのみならず、左派の緑の党と初めて連立を組む話し合いを始めている。それぞれの政党のイメージカラーがそれぞれ黒、黄、緑なので、その3色が国旗であるジャマイカになぞらえて、かの地のマスコミは「ジャマイカ連合」などと呼んでいる。なんともダサい比喩だが、それもドイツっぽい。

1980年代から水と油の関係だった政党同士が連立を組めるのかどうかということで、話題と議論沸騰の模様だが、日本と違って立派だと思うのは、中東の難民受け入れに伴う税金の問題、環境問題の核であるエネルギー政策などと論点がくっきりとしており、マスコミも論点ありきの報道を続けているところだ。

こういうのを見ていると、議論がないままに代表預かりの実質解党が決まるだとか、税金の扱いを議論しないままになんでも国民のためにやりましょうと皆が声高に叫ぶだとか、大きい政府か小さい政府かの議論なしに二大政党制を実現しようだとか、さっぱりわけがわからない日本の政治はどうなっているんだろうと思わざるを得ない。

このブログで政治にまつわる与太話をしても仕方がないとは思うが、これではまずいと思っているんだよということは言っておきたくなったので。まだ何十年も人生がある人たちにはしっかりと考えて欲しいよ。

明日は選挙だ

明日は衆議院議員選挙だ。
政治的信条に無自覚な典型的ノンポリ無党派層の私は、「〇×党ーっ!、きゃー!」みたいな感情はどちらの政党にも持っていないので、選挙の時は政権与党が無茶をできない程度に節度を保ってもらうために、野党で勝負できそうな候補者に一票を入れる、あるいは、重要な争点となる政治課題があるときは、その是非で一票を入れる、というような感じで投票をしてきた。それを方針と呼ぶとすれば、立派な方針の下にきちんと投票を行ってきたともいえる。

そして、今回の選挙では財政再建をしっかりやります、と言う党に一票を入れようと考えていた。

今を去ること36年前になるのかしら。大学生の私はある週刊誌でアルバイトをしていた。その時にたまたま日本の財政、国債の積み上がりを危険視する記事のチームの手伝いをやらされ、去るこの道の専門家に電話取材をしなければならなくなった。文学部の学生だった私は日本経済のことなど何もわからず、何もわからないままに、質問の意味さえ不確かな質問をでっちあげ、その専門家に電話取材を試みた。

専門家とどんなやりとりをしたのかは具体的には記憶にないが、インタビュー自体が冷や汗ものだった感触はじんわりと残っている。そういう感触は得てして残るものだ。しかし、専門家は素人の若造にも非常に懇切丁寧で、たいへん分かりやすい説明をしてくれたはずで、彼が最後に語った一言が何故だか記憶に残った。
「このままだと20年後、30年後には日本と政府は大混乱ですよ」
専門家はそう言ったのだ。

専門家は、だてに専門家ではなかった。日本の財政の問題は10年、20年と経つごとにどんどん悪くなり、ニュースのネタになり、大きな問題だと誰もが言うようになった。30年経って、それはますます悪くなった。だから、40年目にはさらに悪くなるだろうし、50年後にはもっと悪くなるのではないかと心配してみるが、不安は増しても本当にどうなるのかは素人に分かろうはずがない。今日の経済学者やエコノミスト、経済記者の中には、日本の赤字は民間資本の積み上がりが大きく、安全で破綻しないというようなことを言う人たちがいて、じゃ、このまま心配しないでいいのかなと、ふと思わされたりするが、別の専門家は、そのうちにヤバいことになると言う。どちらが正しいのかはまるで分らない。

どちらが正しいのかは分からないが、世界各国を見渡して、その数字が特異であることは間違いない。そして高齢化が進んで社会保障費がロケット・ハイの状態になりつつあることも疑いない。だから、社会保険料の負担基準だとか額だとかを見直すとか、消費税の導入だとか、その税率のアップだとか、静かにできる範囲で処置はちゃんと続いていて、やっぱり財政がこのまま悪化していっていいということはないから、少しづつ是正してきましょうということを歴代政府や財務省はやってきている。やっぱりヤバいんだよ、きっと、と私は思っている。

なのに。今度の選挙は消費税を上げると言っていた与党が、そこから借金返済に回さないで教育目的に使うと言い出し、同じ保守のみどりのたぬきの党は消費税は上げないといい、もう一つの保守党は、消費税を上げる前に行政改革だと言って、やはり先送り派だし、分けわからん民主党から昔の社会党に戻った、かつて言うところの革新政党は消費税は上げないというが、そもそも経済政策はたぬき党同様で選挙民にあんまり説明がないままだし、共産党共産党だし、みーんなみんなポピュリストだ。財政再建をどうしようという議論が、せっかくの選挙なのにほとんど何もない。

私自身は先がどれほどあるか知れない身なので、関係ないと言えば関係ないが、子供の代、その子供の代、さらに続く世代に禍根を残さないために選挙の時ぐらい、もっと長い視点でこの国をどうするのかについて考えを聞きたいし、そうした議論を聞きたい。原発だってそうで、原発怖いではなくて、30年後のエネルギー供給をどうするんだ、化石燃料を燃やし続けて炭酸ガスを出し続け、地球の温暖化を進めていることとのトレードオフをどう考えるんだ、みたいな話を選挙の時ぐらいしつこいぐらい繰り返して聞きたい。

なんてことを考えると今回の選挙は、常に増して投票する政党がない。個別に候補者を見て、耳当たりのよい理想を語るだけの候補者から×をつけていって、できるだけ具体的な政策を語れる人を残すという風に考えるしかないと思っているが、その政策の先に私の理想とは異なる世の中が実現されるような候補者しか残っていなかったら、さて、どうしよう。

ノット指揮東京交響楽団のハイドン、モーツァルト

前日まで熱が出たり、胃痛が続いたりして、これはコンサートに行くのは無理かなと思っていたら、朝起きると予想に反して気分はすっきりとしており、初台のオペラシティまで出かけてきた。

ノット指揮東京交響楽団のこの日の出し物は、ハイドン交響曲第86番、チェロ協奏曲第1番、モーツァルト交響曲第39番という古典派の名曲集。タケミツホールの舞台裏の席に陣取ったのだけれど、すぐ下の舞台から立ち昇るオーケストラの音に包まれて、上等の時間を過ごすことができた。チェロ協奏曲のソロは、イェンス=ペーター・マインツ。この人はドイツ・カンマーフィルと入れたハイドンのチェロ協奏曲の録音がある。

ハイドンモーツァルトの音楽をライブで体験するのは、それだけで楽しい。楽しいというか、音楽が鳴っている最中に体の細胞がじんわりと活性化し続けるような、混じり気のない高揚感を覚える特別な時間になる。もちろん、そのためには演奏が平板では駄目。平凡な演奏では決して満足に達しないのが、聴き慣れた古典の名曲の気難しいところだろう。ノットと東響は、このハードルをやすやすと越えてくれるだろうと期待して買ったチケットに間違いはなかった。

私の場合、天上の音楽であるモーツァルトハイドンのイメージは、ベームカラヤン、その一世代下の指揮者の録音で形成されているので、アーノンクールやホグウッド風の古楽器的スタイルの流れが主流の今のモーツァルトに、必ずしもうまく乗っていけない部分があったりするのだが、ノットの場合、その辺りの様式に対する感性が非常にオーソドックス、かつ先進的、と言いたくなる絶妙の塩梅を聴かせてくれるのだ。ヴィヴラートは効かせないスタイルだが、リズムが溌溂として、自発性が高く、しかし20世紀のモーツァルトの伝統の上に乗って、音響以上に柔らかく自然な流れを作る。保守的リスナーにも、革新好きにも同時にアピールする音楽だと思った。イェンス=ペーター・マインツのチェロも構えが大きくて、素晴らしい演奏だった。

それにしても東響のメンバーは若い。自分より歳のいった演奏家は一人もいそうになかった。クラシック、ポピュラーに限らず、日本人の音楽センスは世代が下るほどに洗練されてきたと思う。

一方、舞台裏の席からオーケストラの向こうに広がる客席を見渡すと、今度は自分よりも若い人の数はかなり少なく見える。一般的に言って、ピアノの演奏会はもっと平均年齢が若いだろうし、オーケストラのコンサートでもマーラーではもう少し多くの層に広がる気がする。今頃モーツァルトハイドンだけしか演奏されないコンサートに来たがる層は、そういうことになってしまうのだろうか。そして、演奏家と楽団にとっては残弾だったろうことに、この日の客席は、ノットと東響の演奏会では今まで見たことがないほど空きが目立った。

ジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』

バッハの対位法に基づく音楽は実に難解であり、そのロジックを勉強したことがない私のような素人が味わえる部位は限られている。とくにそれを思うのは、その種の音楽として傑作と言われる『フーガの技法』を聴くときで、人好きのするメロディがあるわけでもなく、情緒に媚びる態度がまるでない音楽を前にすると、ひたすら入り組んだ音の迷宮に連れて行かれるような気分がして、若い頃はほとんど聴く気分にならなかった。それに比べると同じ対位法による傑作でも『ゴルトベルク変奏曲』や『音楽の捧げもの』は、主題がメロディックな分、随分ととっつきがよく、それなりに楽しんできたが、とはいえ、やはり自分が理解できる範囲の外で音楽が形作られており、鳴っているものを十全に味わえることができていないという点では何ら変わりはない。バッハの後期の鍵盤音楽は、私のような“ながら試聴”をする者を拒絶する。そんな風に感じられ、遠巻きに眺め、ときどき拝聴させていただく存在であった。

そもそもバッハは、複数のメロディがそれぞれ生き物のように動くホモフォニーの音楽であることだけで素人には難しい。ピアノを勉強している人なら、子どもの頃から『インベンション』などに親しんでいて、3声を自然と聴き分ける訓練ができているだろうから、複数の旋律線も自然と頭に入ってくるだろうが、自分にはその作業自体が簡単ではない。「作業」と書いたけれど、3声になると、バスはこう動いている、中声部はこれだと、繰り返し聴きながら、個別に意識を集中して追わないと、然るべく聴こえてこない。『音楽の捧げもの』のように6声などとなると、別次元の存在であり、悲しいかな、聴いてとらえようとしても、果たしてどういう風に聴けばそれを追えるのかがまるでつかめず、呆然とするしかない。

バッハは楽譜を読む作業をしないと理解もできないし、面白くもない部分があるということは、若い頃から感覚的に理解していた。音符をあらかじめ確認し、旋律の動きを少しでも頭に入れたうえで実際の録音を聴けば、なるほど音楽が立体的に聴こえてくる。逆に言えば、作品のごく初歩的な理解を進めるためですら、音符を読む必要が出てくるのがバッハである。他の作曲家の作品だって事情は同じかもしれないが、モーツァルトベートーヴェンマーラーならば、追える旋律を追うだけで、素人リスナーの感情は容易に音楽につかまってしまう。バッハだと、そうなるとは限らない。

鳴っている音を拾うことすら満足にできないのだから、複数の旋律の動きに厳格なルールを適用するカノンなどの対位法作品を聴くのは、悲しいかな、はるかかなたのお星様を眺めているようなものだ。ぼんやりと、自分に見えるものだけが見えている。そこに宇宙を見るようなめくるめくような感覚を覚えるときにはバッハの音楽に引き込まれる思いがするが、自身の無力が嫌になることだってある。

それでも、何故かバッハを聴きたくなる。とくに4月に2ヶ月の入院を伴う手術をして以来、バッハ、とくに鍵盤曲を聴くことがとても多い。退院した後にCDプレイヤーを新調したこともあり、ここしばらくCDをかけ続けているのだけれど、我が家に数枚づつある『ゴルトベルク変奏曲』と『フーガの技法』などの盤を、とっかえひっかえプレイヤーのトレイに載せる機会が増えた。

そうすると、他のいくつかの演奏家とともに、どうしてもグールドの演奏が心に刺さり、本棚から宮澤淳一さんのグールド論を出してきて部分的に読み直すことをしたり、今まで無視していたCDのライナーノーツを虫眼鏡を取り出して一所懸命に拾い読みしたりすることになった。そこで音楽を聴く楽しみは自然と補強され、バッハの音楽が少し近づいてくる気がする。とことん突き詰めるなどということは考えずに、自分なりに理解できる範囲で、理解したいことを少しだけ受け取って、あぁなるほどと思ったりする。そんな、バッハをめぐる時間をしばらく過ごしてきた。

そんな、ゆるい情報収集にともなって立ち上がる、ゆっくりとした時間の中で、今まで知らなかった多くの情報に触れて感心したのがジェイムズ・R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』という白水社の本だ(素晴らしい翻訳は松村哲哉さん)。

彼の時代には、すでにカノンなど対位法の音楽は時代から取り残されつつある存在で、バッハがそうした当時ですら古くさいとみられはじめていた形式にこだわった人物だったという話は音楽ファンにはよく知られているるはず。以前読んだ音楽エッセイなどには、バッハは田舎にいたから、最新の音楽の最新の流れを理解しておらず、それでひたすら古い様式の音楽しか書かなかったというニュアンスのことが書かれていたが、ゲインズさんの著作を読むと、そうした理解はまるで真実ではないらしい。バッハはフランスを中心に勃興している、いわゆる「ギャラント様式」の存在や意義を知らなかったのではなく、ギャラント様式に意識的な抵抗を試みた人物であった。本書によると、彼はごく若い頃、リューネブルクで勉強をしていた頃に欧州各国で書かれているさまざまなスタイルの譜面を勉強していたし、リュリ、クープランなどフランスのギャラント様式の作曲家の作品に接していた。その後も人生を通じてヴィヴァルディなど当時の最新の人気作家の楽譜を集め、研究を行い、ドイツ国内のギャラント様式の担い手であるテレマンなどとは親交があった。後年、ギャラント様式の代表選手となる息子のカール・フィリップエマヌエル・バッハテレマンが名付け親だ。

当時の音楽メディア(というものが、江戸時代初期に当たる当時のドイツにあったということが驚きだ)では、バッハ賞賛の言質が存在する一方、その音楽に対し、古臭い、衒学趣味であるとする批判がすでに行われていたのだという。『「音楽の捧げもの」が生まれた晩』の中では、聖トーマス教会でオルガニストをバッハから引き継いだヨハン・アダム・シャイベが残した『批評的音楽家』誌に掲載されたバッハ批評の一部が次のように紹介されている。

楽曲を作る際、親しみやすさをもっと重視し、仰々しく混乱した音楽様式を用いず、過度の技巧を弄してあっ曲の自然な美しさを奪うようなことをやめれば、バッハはあらゆる国々の人々から賞賛を受けるであろう。……バッハは、装飾を加えるにしても、ちょっとした優しい表情をつけるにしても、すべてを音符のみで表現しようとする。そのためハーモニーの美しさが聞き取れないばかりか、メロディーを覆いつくしてしまう。すべての声部が常に絡み合い、しかもどの声部も込み入った作りになっているため、何が主旋律なのかさっぱり判別がつかない。……あまりの仰々しさゆえに、彼の音楽は自然さと気品を欠き、人為的で重苦しいものとなる。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P224)

バッハはそれらの批判を認識しつつ、新しい様式の隆盛を知悉しつつ我が道を歩いたということのようなのだ。

しかしバッハは、そうした楽曲を研究し自作に取り入れただけでなく、多大な「影響」を受けた。ヘンデルテレマンのような同時代の作曲家たちは、ある特定の音楽様式の範囲内で、その分野を代表するような最高の作品を作るという野心を抱いていたが、彼らとは違い、バッハはさまざまな音楽様式を解体したうえで、自由な着想、見事なオーケストレーション、さらには対位法といった自分が得意とする要素や技法の助けを借りて、音楽そのものを根本から再構成したのである。特にヴィヴァルディ作品と出会い、その構成力や旋律美に触れた際には、元の作品のさまざまな要素を利用してより大きな作品を作り上げただけでなく、まったく新たな作品に生まれ変わらせたと言って良いだろう。
(R・ゲインズ著『「音楽の捧げもの」が生まれた晩――バッハとフリードリッヒ大王』P153)

本書は、『音楽の捧げもの』という名曲をめぐるバッハとフリードリッヒ大王の対決をクライマックスに据えて、あたかも二つの旋律を奏でるように両者の人生を交互に語りながら、バッハと、プロイセン国王として後世に名を残すとともにフルート奏者としても知られていたフリードリッヒ大王それぞれが代表する対照的な価値観、世界観をあぶり出していく。著者はアメリカのジャーナリストだが、読み物として面白いだけでなく、巻末には詳細な参考文献リストがあげられており、当時のドイツの政治状況、風土、音楽の社会に持つ意味、バッハとフリードリッヒ大王をめぐる人間関係など学者並みの調査を基に的確な説明が散りばめられているのに感心する。対位法やカノンの説明も具体的になされていて分かりやすい。その内容の厚みに感動といってもよい程の感銘を受けた。繰り返しになるが、翻訳の日本語が実にこなれていて素晴らしい。安い本ではないが、バッハとノンフィクションが好きな人には「ぜひ読んでみてください」と言いたくなる一冊である。


「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王

「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王

ノット+東京交響楽団の細川俊夫『嘆き』、マーラー交響曲第2番『復活』

2ヶ月の入院など思いもよらなかった頃に購入していた音楽会のチケットのうち、5月に楽しみにしていたブルックナー5番の2つのコンサートは問答無用でキャンセルとなってしまった。人づてに聞くと、ともにいい夜だったようなので口惜しい思いをしたが、7月15日(土)夜のノットと東響の『復活』は久しぶりの生の音響に、思う存分揺さぶられてきた(於:ミューザ川崎)。

いい演奏会だったか? それは、とても。

何がよかったかといって、自分にとっては、生演奏の迫力に久しぶり立ち会えたことだろう。それだけで幸せなひと時だったが、指揮者が極端なまでな要求をぶつけ続け、それに対し演奏家が力の限り応えようとするという場面が次々と現れるこの日の演奏は、ほとんどすべての聴衆にとってスリリングな体験になったのではなかったかと思う。

この日のノットの指揮は、曲の様々な場所に作られたクライマックスで、オーケストラからあらん限りの詠嘆や絶叫を引き出そうとしていた。そもそも音量の振幅が大きい曲なのに、そのフォルテシモの凄絶さにはビビる。1回限りの生演奏でなら耐えられるが、録音で何度も聴くのは胃にもたれたり、飽きられたりということがなきにしもあらずのレベルだったので、ことさら「あぁ、生だなあ」と思ってしまったことだ。それに対してポジティブに反応するか、「やり過ぎだ!」と冷ややかな目を向けるかは、この曲に何を期待するのかで真反対になりそう。

それにしても、この日のノットは、どうしてそこまでやったんだろと言いたくなる激情型のアウトプットを目指した。過去にこのコンビで接した演奏会だと、『運命』やシューマン交響曲第2番など、通例よりも躍動的でスピード感が全面に出る演奏はいくつも聴いたが、タガの外し方はそれらとは桁違いで、同じマーラーでも、過去に聴いた9番、3番はもっと抑制的だったから、2番の曲想からして面食らうほどではないにせよ、「ほー」とは思った。

東響との関係に深化を感じたノットさんが、オーケストラに信を置いた上でのトライだっただろうが、ただ、演奏自体は必ずしも十分に柔軟なドライブがなされているというところまではいかず、各パートでもう少し余裕があればと思わされる瞬間が流れていく。翌日に、同じプログラムの演奏会が同じ会場で予定されていたので、おそらくそっちの方が、2度めの演奏の余裕が加わって聴き応えが増す演奏になるんじゃないかと終演後に思ったが、さてどうだっただろう。

それにしても、体調が回復しかけの、ホールにやっとたどりつく程度の体力しかない病人の耳に届く『復活』は、ギラギラとした生きるエネルギーが凝縮された曲だった。悲劇的な装いの第1楽章を含めて、曲の核にある強さ、自己肯定感にタジタジとなりながらの1時間半だった。とくに、『復活』の前に演奏された細川俊夫の『「嘆き」ーメゾ・ソプラノとオーケストラのための』という曲が、自死したドイツ表現主義の詩人、ゲオルク・トラークルという人の厭世的な手紙の一節をメゾソプラノが歌う(当日は藤村実穂子さん)、聴いてみると実に暗い、救いのない文学的なテキストを下敷きにした、冬の日の陰鬱な日本海を望むような作品だっただけに、そのコントラストは強烈だった。

平野啓一郎著『マチネの終わりに』

平野啓一郎の『マチネの終わりに』は、形の上では恋愛小説だけれども、同じ著者の『ドーン』がSFの形を取りつつ、実際にはコミュニケーションの問題を掘り下げようとしているように、主人公二人の恋愛それ自体の成り行きを出来事の柱としながら、恋愛について語ろうとしているわけではない点で、似たような韜晦さに包まれている。

物語は、39歳になる売れっ子のギタリスト蒔野聡史が、大成功を収めたサントリーホールでの『アランフェス協奏曲』のコンサートの夜に、フランス通信社の記者であり、著名なユーゴスラヴィア出身の映画監督の娘である41歳の小峰洋子と知り合うところから始まる。小説は、この二人の恋愛の行方を数年に渡って追うのだが、二人は小説の最初の章で出会い、その数カ月後にヒロインが住むパリで再開した後は、長い小説の間、大団円を迎えるまで顔を合わせることがない。その間、二人はメールで連絡し、スカイプで頻繁に話をする機会を持つのだが、リアルの場で会うのはたったの三度だけでしかない。

では、小説の中では何が起こるのかと言えば、演奏家としての不調、イラク戦争取材がもたらしたトラウマという個人の危機を抱えた二人が、相手の存在故に抱え込んだ三角関係に悩まされ、様々な個人的な問題に直面しつつ、それらに立ち向かう個人の内面のありようが描かれるのみで、華やかな濡場などとはまるで無縁である。だから、この作品を普通の意味での恋愛小説と思い込んで読み進めると、いつの間にか読者は置いてきぼりを食らう。物語の半ば、折り返しのクライマックスで、主人公二人が幾重にもありえないミスをしでかし、物語にとって決定的なすれ違いが起こるのだが、これは筋としては、明らかにやりすぎで、しらけた思いにさせられた読者は私だけではないのではないかと思う。

それまでは、「これからどうなるのだろう?」という思いでプロットを追っていたのだが、この場面を読んだとたん、この作者は、なぜ、こんな陳腐な事件を起こして主人公たちを困らせるのかと困惑が広がり、ページをめくる手が止まってしまった。そして、それから何十ページかをめくった後に思い至ることになった。
「これは、そうした展開の面白さを楽しむ恋愛小説ではないのではないか?」
あらためてそう考えてみると、すべては腑に落ちる。そもそも、この二人が相思相愛の関係になる物語の始まりも、思い返してみると作者の強引さが二人をつなぎとめているのであり、この人の筆力がなければ、通常では決してありえない非現実的な関係なのだった。

だとすれば。作家は、とくに平野啓一郎のような全体小説的な作品を志向する作家は、筋書きの妙ではなく、その後ろに隠された真実を表現しようとしているに違いない。そう思って読み続けると、この本の真骨頂のようなものが見えてくる。どうやら作者は、『魔笛』のパミーナとタミーノのように、わざと主人公二人が試練をくぐるべく、ややもすれば作り話が過ぎるほどに物語を動かし、それによって読者に対し何かを言いたいようなのだ。

そこで、こういう風に受け取ってみた。ある人生が自身の思う通りの方向に進まなかったとして、人は自分のそうした人生をいかに受け止めるべきか、仮にに逆境にあったとしても、それをいかに裏返して現実をよきものとして受け止めていくか。いくつも含まれていると思える細かいテーマはさておき、ざっと一括りにすると、そういう小説を平野さんは書いている。そのように考えると、この作品は、読者に力を与える、とても、とてもよい小説であるということができる。

音楽小説として読むと、例のへっぽこコンクール小説とは段違いの洗練を見せて素晴らしい。本来、語れないはずのものに対する節度が違うし、音楽が小説の成り立ちと分かちがたく結びついている点で、この作品は間違いなく音楽小説である。

小説の冒頭、サントリーホールのコンサートの後に関係者の慰労会が行われたイタリア料理店で、古い記憶が、新しい出来事によって書き換えられるという内容の逸話を小峰洋子が語る。この話は、この物語の骨格の一つでもあるのだが、その逸話に反応して、主人公の蒔野が言う。

「いや、ヘンじゃないです、全然。音楽ってそういうものですよ。最初に提示された主題の行方を最後まで見届けた時、振り返ってそこに、どんな風景が広がっているのか? ベートーヴェンの日記に、『夕べにすべてを見とどけること。』っていう謎めいた一文があるんです。ドイツ語の原文は、何だったかな。洋子さんに訊けば、どういう意味か教えてもらえるんだろうけど、……あれは、そういうことなんじゃないかなと思うんです。展開を通じて、そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。そうすると、もうそのテーマは、最初と同じようには聞こえない。」

この小説は、この後に、蒔野が言う「音楽」を「この小説」と言い換えれば、まさにそのままにあてはまるような展開を見せる。

音楽そのものの扱いも堂に入っている。例えば、主人公が弾くバッハの「無伴奏チェロ組曲」が主人公たちにとっての重要な作品として登場するのだが、この曲を指して「人間的な喜怒哀楽の彼方に屹立するバッハの楽曲」と呼ぶのは、「人間的な喜怒哀楽」そのものである主人公たちの状況を際立たせる通奏低音という意味を考えるとお見事というほかはない。

平野啓一郎の作品は、テーマの重要性ありきで、反面、筋立てが人工的で無理がある部分がある部分で、心底納得させられたことは一度もないが、読むたびにその筆力に驚嘆させられるのも、また間違いないことだ。


マチネの終わりに

マチネの終わりに

平野啓一郎著『ドーン』、『私とは何か――「個人」から「分人」へ 』

入院患者となって無聊をかこつ身になり、体力の続く範囲で読書をした。読んだ本のうち、話題の音楽コンクール小説について語気は控えめに「物足りない」と感想を書いたら、それを読んだ友人が、おそらく音楽家を主人公にしている良質な小説という意味で、平野啓一郎の『マチネの終わりに』を紹介してくれた。これがよかったので、もう一本続けて「平野啓一郎を読もう」と手に取ったのが『ドーン』だ。『マチネの終わりに』については、またあらためて別の機会に書くことにして、今日は『ドーン』について少し。

半分ほども読み進めてから「いつ書かれた本だろう?」とページをめくって奥付を確認したら刊行は2007年とあった。10年前に書かれた小説だ。平野さんの本は最初に『葬送』を読んで、その時の驚きは正直にこのブログの過去エントリーに残されている。


■平野啓一郎『葬送』を読む』(2006年9月13日)


この『葬送』をめぐる過去エントリーが2006年9月なので、『ドーン』はちょうどその頃に書き進められていたことになる。ということは、ネット社会の動向に関心がある(あるいはあった)者にとっては、それは梅田望夫平野啓一郎共著の『ウェブ人間論』(2006年12月)が新潮社から出た年なのであり、『ドーン』にはネットの普及が個人の人格形成に与える影響について考えていた平野さんの思いが小説の形で開陳されている。知らなかった私は「こんなの書いていたんだ」と今頃になって感心したのだけれど、昔読んだことがある人にとっては、今頃何いってんだかという話でしかないかもしれない。

『ドーン』の時代背景は近未来の2030年代に設定されており、主人公はNASAに勤務する日本人宇宙飛行士である。彼は人類初の火星有人探査のクルーとして2年以上にわたる宇宙旅行から帰還を遂げたばかりだが、帰ってきた世界は東アフリカで続いている戦争で疲弊している。警察国家として国の威信をかけ、あるいは産軍複合体の欲望に背中を押されるままに、時の米国は泥沼化しているこの東アフリカ内戦にのめり込んでおり、火星からロケットが戻ってきたこの時期、海外派兵の是非を主要な論点とする大統領選が大詰めを迎えようとしている。

このような書割にもとづいて物語が進むため、本は読み始めこそSFなのかなと思うが、肝心の火星での描写はほとんどないし、本編を通じて執拗に繰り返される『ドーン(Dawn)』(というのが宇宙船の名称だ)での出来事は、主人公たちの回想やメディアの報道記事などで語られるばかりであるため、SF小説を読みたい読者には肩透かしをくらう人も多かっただろう。むしろ米国の国内政治のドロドロと候補者同士の攻防が素材としては中心で、読んでみると政治小説の色が強いのだが、ただ、2017年の現在に読むと、この本が2007年に想像していた2030年のリアリティはすでに薄れてしまっている。それにそもそも、平野啓一郎の小説には、なんというか、筋立ては二の次みたいな部分がどこかにあり、500ページの饒舌な大著に最後まで付き合うのは骨の折れる部分があった。

それでも興味深い読書になった。というのは、平野さんの相当にアクの強い文章の引力が惹かれるのと、物語の中で展開されている「分人主義」なる主義主張が、ネットの時代の思想ないし処世術として考えるヒントになり、それが面白かったからだ。平野さんは2012年に『私とは何か――「個人」から「分人」へ 』という新書を出しており、ここであらためて彼が提唱する「分人主義」について解説する。こちらは、たまたま数年前に手にとって、読んだことは読んだが、その時には正直もう一つピンとくるところはなかった。

個人(Individual)は、「in-divudal」で、語義的にもこれ以上分けられない存在として規定されている。平野さんは人間は他者とのコミュニケーションにおいて、それぞれの個別の関係によって異なる、一つではない個人=「分人」(divudual)の集合体だと考える。親との関係によって生じる「分人」、職場で生じる「分人」、仲の良い友達と接している時の「分人」は、それぞれ別の人格として存在し、育つものだと言う。個人の自我はタルトを切り分けたピースの集まりみたいなものだと位置づけらえる。人間の自我って実はそんな風にできていて、社会学でいう「役割」や、若い世代が言う「キャラ」よりも個人の核に根ざしたものだと平野さんは言う。

こんな風に一人の人格を捉えることによって、どんなよいことがあるのかというと、自我(の一つ)を育てるのは他者とのコミュニケーションであるという認識が社会的に固定されることによって、その重要性が明確になるし、ある人間関係で悩んでいたとしても、それはある一つの自我に関わる問題に過ぎないのだから、ことさらに思い悩む必要はないんだよと自分自身に対して逃げも打てるようになる。とまあ、そういうことのようなのだ。

「分人」には少々無理なところがあると思いもするが、個人にとっての他者とのコミュニケーション(特にその不全が生じたときに感じるそれ)の重要性という点では2ヶ月の入院生活でひどく思い知らされたので、共感を覚えた。『ドーン』では、主人公が狭い宇宙船の中に6人のクルーの一人として閉じ込められ、それによって井伏鱒二山椒魚さながらに良くない性質を帯びるのだが、その気持ちは病室の天井を見上げながら溜息をついていた者にはよく分かる。病室は宇宙船とは違い、嬉しいお見舞いのお客さんがあり、メールのやりとりがあり、ブログへの返信があるので、閉塞感は限られたものでしかないが、病人には社会から閉ざされた宇宙船の物語は身につまされてしまう。

一方で、個人は複数の自我の集合体であるという主張については、入院患者はまるで逆の思いを味わった。様々な友人関係、勤め先での関係、家族との関係には、表に現れる行動や行儀作法はそれぞれに違うものだと本人も思っているところがあり、それは平野さんの「分人」が教えるとおりだが、しかし、つまるところ病気を抱えた身体は、どの「分人」にも等しく大きな影響を与え、一つの体と一つの心を持つ自分を意識しないではいられない。身体と心とは切っても切れない存在であるというのが、そこから導き出される感想で、複数の自我を想定してみるよりも、一つの自分の周りに存在する複数の役割を想定する方が余程分かりやすく実用的である。

もう一つ、入院してみて思ったのは、人というのは常に自分と会話をするものだなあということだ。ベッドに寝っ転がって何もしない時間、いろいろなことを考える。それは自分が自分と会話を行うことに他ならない。たぶん、普通の日常生活においても、家族や、友達や、会社の上司やお客さんや様々な人たちとコミュニケーションを取りながらも、心の真ん中では自分がもう一人の自分と話をしながら、表に現れる役割に正当性を与えたり、あるいはその成り行きにがっかりしたりしているのだろう。そう考えると、最終的には、自分の心の真ん中を鍛える他に人生を生きやすくする道はないのだろうと思う。どんな人間関係があろうとなかろうと、最後に死ぬ時は人間みな一人であるわけだし。


ドーン (講談社文庫)

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私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

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