サーリアホの「トランス」、「オリオン」

火曜日にサントリーホールでカイヤ・サーリアホのオーケストラ作品を聴いてきた。サントリー音楽財団が毎年この時期に開催している現代音楽の催し「サマーフェスティバル」の一環として開催され、オーケストラは東京交響楽団だった。

最近、短期的な記憶がまったく作動せず、聴いたばかりなのにほとんど内容を反芻できない。だから、何を聴いたのか、どんな音楽だったのかをほとんど覚えていない。というのが正直なところなのだが、久々に現代音楽で、こういう音楽に出会いたいと思うような楽曲に出会えた思いがしたことは記憶に刻まれた。だから、機会があれば、録音でよいから、もう一度聴いてみたい。

とくにこの日が世界初演だというハープ協奏曲の「トランス」の繊細さは心に染みた。フィンランドの女性作曲家であるサーリアホは、ほとんど聴いたことがなく、ごくわずかに、たとえばフルートの独奏曲を、どこかで聴いたという程度。ただ、それがなんという題名の曲だったのか、有名な作品なのか、そうでないのかも何も知らないのだが、楽曲が始まって1分も経たないうちに、これは自分に合っている曲だと思った。そんな思い出はある。

誰かに似ていると思ったのだが、あとで考えてみると武満徹で、「エア」などのフルート曲のなんとも言えない無常観は、サーリアホに引き継がれているように自分は聴いてしまう。今回聴いた「トランス」も同じで、サーリアホの音楽は、武満などよりも、さらに風や大気の動きや、それに呼応する森のざわめきなどが聴こえ、私にはほとんど環境音楽といったようなものに感じられる。気象の変化と心の変化とは呼応しているのではないかという意味合いで、それは環境音楽なのだ。

一月ほど前に、フィンランド人と日本人の気性は似ているという話をブログの仲間たちとしたばかりだが、曲の中で日本的な音階が利用されており、ハープが琴、ピッコロが篠笛といった使い方がなされていたこともあって、「トランス」が醸し出す空気感は東京の空気に馴染むし、その空気には無常観が漂っていると感じられる。

もう一曲、トリで演奏された代表作のひとつ「オリオン」は、より構造的にかっちりとして、「トランス」にはなかったオーケストラの強奏が目立ち、ミニマルなフレーズの繰り返しが強い意志の表出を思わせるところがあるが、あらゆる楽器を駆使してオーケストラの音の色彩が千変万化する様の繊細さは恐ろしいほどで、この人は本当に天才なのではないかと思ってしまった。

数日前にサーリアホ室内楽コンサートがあったのに聴きに行かなかったのを、今は少し後悔している。