選択肢はたくさん、結論はひとつ

久しぶりに美崎薫さんに会う。美崎さんとは、最近、『1Q84』の読後感をメールでやりとりし、盛り上がっていたのである。新宿で会って話を聞くと、最近はご自身でものすごい数のアプリケーションを作り続けながら、意識の問題を考えているという。そんなわけでスーザン・ブラックモア著『「意識」を語る』も当然のように読んでいただいていて、美崎さん自身の問題意識に照らしながら、実に濃い感想をもらう。美崎さんには献本をするべきだったと気がつくが、「本はもらうと、読むことが義務になってしまうので」気にしないでくれと言っていただく。ブログで書いていてもそれは常に感じることだが、本や、音楽など趣味の領域の商品を勧めるのは、自分の世界観を相手に押しつけにつながりかねないので、実際には容易ではない。

『「意識」を語る』については、先日、mmpoloさん(id:mmpolo)にお会いしたときにも読後感をお聞きしたばかりで、専門書の企画・編集に携わっていたmmpoloさんの明確な印象は、内容的に一般書として売るのはきびしい、価格を上げて専門書として扱うのが経営的には適切な書籍ではないかというものだった。

この辺りの判断は難しい。もともと僕の勤め先が一般書と専門書の境界領域にあるグレーゾーンに生息しているということを割り引いても、というかであるが故に、判断には極端な選択肢が存在し、その妥当性は類似商品の実績だけでは演繹できない。“たら”“れば”が存在しないことは人の人生と同じだ。先日、硬派の専門出版社として評価が高い藤原書店の藤原社長の話を聞く機会があったが、本のタイトルと価格だけは、すべて社長が決めるのだという。責任者の覚悟という意味で腑に落ちる話である。

ところで、美崎さんにはとても楽しんでもらったらしい『「意識」を語る』。3月に刊行してからの出足は思いのほか鈍かったが、最近はそれなりに売れているらしい。うれしい限りだ。


「意識」を語る

「意識」を語る