『失われた場を探して』補記

昨日紹介した『失われた場を探して―ロストジェネレーションの社会学』について、もう少しだけ補足をしておきたいと思いました。
この社会学者が書いた一般書、あるいは一般人にも読みやすく書かれた研究書を一読してよい読書をしたときの満足感を得た私でしたが、「売れるかなあ、できるだけ多くの人に読まれるといいなあ」と思いながら、届く範囲は限られているだろうなという諦念もあります。広告宣伝には限りがある小さな出版社から出た本ですし、テーマに現代性は大いにありますが、マス向けの商品としてはやはり真面目すぎて地味ではあります。ですが、こうした本が売れなかったら、本を作ること自体に意義があるとは言えないなあとまで考えてしまいます。

ロストジェネレーションを生み出した経済の不調は、社会の構造自体を不可逆的に変化させているという全体像を著者は提示します。これを実証するために本の中で緻密に観察されているのは、就職にまつわる高校と企業の結びつきについてですが、そうした「仮説」→「検証」→「論理構築」の内省的で孤独なはずの作業が「場の崩壊」という結論を導く静と動のダイナミックさに思わず体が前のめりになりました。勉強するってのは素敵なことだな、とあらためて感じさせらたような気がします。

別の意味でいいなあと思うのは、この著者の人間的な温かさが行間からにじんでいる点でしょうか。それはエッセイ風の「プロローグ」に端的に示されていますが、そればかりでなく、論を組み立てる姿勢のひとつひとつがとてもヒューマニスティックであり、小さなコメントに繊細さがみてとれます。

著者の理論と実証の旅は必ずしもハッピーエンドに辿り着くわけではありません。つまり、これまで日本人にとってなじみぶかかった場が守ってくれる社会の仕組みはどんどん希薄になるのであり、ロスジェネ世代、ポスト・ロスジェネ世代は、そうした現実をいかようにしても生きていく必要があるというのです。

では、そんな中で個人はどうすればいいか。専門家とはいえども、一人の研究者に語れることには限りがあります。実際にそれがアドバイスとして機能するためには、読者自身にメッセージを受け止める英知と勇気とが必要となるという難しい前提の中で、著者は本書の最後に4つの提案を置いています。それを紹介すると読書の楽しみが雲散してしまいますので、ここではしませんが、その代わりにエピローグの最後の段落、つまりこの本の最後の部分を紹介したいと思います。それは、著者が当事者たる日本の若者に向けて語りかけるこんな言葉になっています。

ロストジェネレーションの若者に言いたいのは、自分を見極めて欲しいということだ。有名なコンピュータゲーム作家やマンガ家、ファッションデザイナーになって活躍できる人は、世界中でもほんの一握りにすぎない。あなたがその一人になれる可能性はとても少ない。けれど、ほとんどの人は、ある程度満足できて、誇りが感じられる要素がある仕事に巡り会えるはずだ。
すぐには見つからないかもしれない。それでも、あきらめずに探してほしい。あたながどういうタイプの人間であっても、学歴や偏差値がどうであっても、そういう仕事はきっと見つかる。まず、自分の得意なことを見つけること。そして、その得意なことを武器に、新しい環境にどんどん乗り出していこう。
いまは二十一世紀。あなたの「場」は、日本の中だけではない。世界全体があなたの「場」なのだ。
(『失われた場を探して』エピローグより)

私が久しぶりに読んだ、ガチガチの社会学者の手になる一冊は、こんな言葉で締めくくられる本でした。


失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学

失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学