よくあることではあるけれど

昨日、梅田さんのエントリーに対して品のないコメントがたくさん寄せられていると憤慨する文章を書いたら、fuzzyさん(id:fuzzy2)から次のようなコメントを頂いた。

何事かと思って梅田さんの日記のはてブを見ましたが、はてブではよくあるふつうの出来事にすぎないと思います。はてブのなかで特にひどい状況ということはないでしょう、これは。

そして「あの中にある有用なコメントだけ拾い読みすればOKです :-)」という身の処し方をすればいいのだというアドバイスも加えて頂いた。「郷に入っては郷に従え」の精神である。

なるほどねとは思う。fuzzyさんは電脳空間で過ごしてきた時間が長い方なので、こうした状況分析と割り切りをさっとできる能力を身につけているのだと思う。ただ、このブログをご覧頂いている方にはお分かりのように、僕はこの辺りに関してはまったくの旧人類で、2チャンネルや、今回のはてブのネガティブなコメントのような空間にはまったくなじめない。適応能力がないと笑われようが、生理的に合わず、自身の倫理観や世界観に適合しない部分あるのはいかんともしがたい。またひと言加えると、なじめないよりなじまないという意志の部分、そこに順応するのは、客観的な状況分析に照らしても得策ではないと感じているところもある。

倫理観という意味では、やはり昨日のコメント欄にあるhataboh_dayoさん(id:hataboh_dayo)の文章が僕の感じ方にストレートにつながっている。

会社を辞めざるをえなくなったときのことがよみがえってきて、苦しくなりました。この国でものを言うと、背中や足元から矢が飛んでくると覚悟しなくてはいけないようです
根本にあるのは「妬み」なのかもしれません。

はてブや2チャンネルに表れるこうしたネガティブな行動様式は、子供の頃に体験した学校の中でのいじめと酷似している。僕自身は幸いなことにいじめられる立場に立たされたことがほとんどない(一度だけ、数日間の仲間はずれにされた苦い思い出はあるが、それぐらいのものだ。でもそれはとても嫌なものだった)が、いじめの存在は普通のことだった。おそらく今でもそうだろう。多勢に無勢の環境で、勝ち馬に乗っててめえは安全な場所にいながらいじめられる子が苦境に陥るのを楽しむ。じめられる対象がどんな気持ちになるかという点に対する想像力はおそらく欠如している。梅田さんのところに品のないエントリーを書いている一部の人たちの行動は、日本の風土にぺたりと張り付いている陰湿ないじめと相似形をなしているという直感が、昨日のようなエントリーを書く動機になっている。最新の情報技術に支えられた世界に、土着の、まことに古くさいネガティブな行動様式が温存される。昨日の「すみません」はあくまで皮肉であって、それでよいと思うことはない。

一方の、そこに順応するのは得策ではないというプラグマティックな感じ方が何かというと、こういう日本的感性をさらに研ぎ澄ませると、ますます日本の外とのコミュニケーションができなくなってくるぞ、それはヤバイぞと、要はそういうことだ。このはてブのような日本的電脳空間の中で戦って強くなっても、あるいは弾をよける運動神経を磨いても、それは日本的感性が濃縮された狭いコミュニティの行儀作法を身につけることでしかない。そこにこだわるのは優先順位の点から考えて得策ではないと思われるのである。