日はまた昇る

茂木健一郎さんのブログを読んだら、こんなフレーズに出会った。

梅田さんとボクは、きっと、「敗戦」
の感覚を共有している。
しゃあない。
「焼け野原」からまた何かをつくれば良い。
(『クオリア日記』2008年11月13日)

僕も一昨日、「なべて世はこともなし」と自分のブログに書いたときに、もうだいぶ長く引きずっている僕にとっての「敗戦」の感覚の中にいた。

彼らのような、バリバリの現役でマスを先導するような立場にある人たちがもし敗戦を感じることがあるとしたら、そのときそれは僕ら大衆が感じるそれに比べてより深いものになるのか。そんなことは考えても詮方ないことではあるし、意味のない問題の立て方であるかもしれないが、ともかくふとそんなことを思った。

自分一人でできることも、自分の一生涯でできることも、あまりに限られている。そうした諦念とともに明日への希望もまたやってくる。僕の子供やその世代、またその下の世代が我々の持っている課題や問題意識を引き継いでくれるのか、それすらも自明なことではないが、ともかく語らないことには何も伝えられない。そして語れば何かが伝わると信じたい。語ることで間違えることもあるが、そのことにあまりびくびくするのは、かえって体によくない。

今日はyukioinoさん、勢川さん、中村さん、辻さんと「シュンポシオン横浜」開催に関する最初で最後の打合せの日。という名の飲み会の日。