妙本寺の海棠が記憶の花びらを散らす

記憶は途轍もなく重要だということを最近やっと考えるようになった。ブログのおかげだと思う。意図していたわけではないが、結果的に記憶の貯蔵庫をつくる行為を続けることによって、今まであまり意識していなかった過去とつながることの重要性に少し思いをいたすようになったということか。

記憶が重要なのは、他者と共通に語ることができる物語が座標軸の存在をあらわにするからだ。もちろん一人の個人のためだけの記憶も重要だが、記憶はやはり共有することによって新しい価値を生み出す。それが人とのつながりを、時空を超えて維持する装置となる。鎌倉のように歴史が堆積し、人々の記憶が集積している土地では、さまざまな思いが交錯し、思索は胚胎し、思いがけない内的コミュニケーションが惹起されたりもする。

そういう意味では、自分が何かを書き留めることと同様に誰かの文章に出会って触発されることの思いがけない価値がブログ体験では重要かも知れない。どこまで正しいかわからないが、そんなことを少し思う。