観覧車

ネットサーフィンをしていたら、『第三の男』のリマスター4K版がカンヌ映画祭で上映され、この夏にアメリカで商業上映が行われるというニュースにぶつかった。次の瞬間、思いは再度3月のウィーン旅行に向かうことになった。

http://variety.com/2015/film/news/orson-welles-restored-the-third-man-set-for-u-s-release-1201488365/


『第三の男』は、いつ、誰が見ても楽しめること請け合いの、娯楽映画中の傑作であることは言を待たないわけだが、映画の舞台であるウィーンに行っても『第三の男』を思い出すことはほとんどない。ウィーンにとって、かの名画は過去のものである。そういってよいと思う。街のシンボルである王宮は13世紀、ザンクト・シュテファンの大聖堂は14世紀、シェーンブルン宮殿は17世紀、市庁舎は19世紀の建設、チョコレートはじめ肖像画のコピーが氾濫するモーツァルトは18世紀、専門の博物館まである美貌の皇后シシィは19世紀の人。過去が街中に露出し、かの地にとってもっとも重要な産業である観光ビジネスが過去によって回っている事実を目にするだに、ウィーンを舞台にした60数年前の名画がまるで忘れ去られているのはアイロニカルな思いを惹起する事実だが、つまり人は、少なくとも意思的に、思い出したいものを思い出すということなのだ。思い出したくないもの、思い出す対象と目されないものは、過去の闇にかすんでいく。

現地での映画に対する徹底的な無視は、映画音楽を担当したアントン・カラスへの暗黙裡の迫害をテーマにした『滅びのチター師』をたちまちに思い起こさせる。あの本の中で『第三の男』に対するウィーンやオーストリアの反応はどのように扱われていただろうか。

ハンガリー系のカラスが生粋のウィーン人ではないように、『第三の男』は英国資本が英国の監督と有名作家とアメリカ人俳優を使って作ったウィーン文化とは縁のない物語であり、舞台となるのは瓦礫の街や、観覧車や、下水道や、墓地など彼らの過去の栄光とは何らのゆかりもない場所ばかり。登場人物もオーストリア人は脇役やその他大勢だけで、主要キャストは外国人ばかり。

当時のオーストリア人、維納人は思ったであろう。「これはウィーンではない」 「この映画はウィーンとはほとんど何も関係がない」

いまだに『第三の男』を無視し続けるのは、ウィーン人にとって興味をそそられない話だからなのか。それとも、もっとも積極的な意味で、ウィーンにとって、戦勝国管理時代の、不愉快な、けしからぬ話だからなのか。戦勝国の連中が乗り込んできて、ウィーンの気持ちや文化などはまったく忖度することなく撮った外国人の映画だからなのか。でも、まあ、『将軍 SHOGUN』を日本の話だと考える日本人がいないのと一緒か。

そのあたりのことを疑問に思う私も、ウィーンの文字を目にして、あるいは現地を訪れて、『第三の男』を思い出すことはほとんどない。ウィーン旅行から帰国する日の朝、空港に向かうために乗り継いだプラーターの駅で、逆光の観覧車が目に入った。今回も行かなかったな、もう来ることはないかなと、その時、少しだけ残念に思った。










滅びのチター師―「第三の男」とアントン・カラス (文春文庫)

滅びのチター師―「第三の男」とアントン・カラス (文春文庫)