野茂と社会保障番号の思い出

今朝の新聞で、野茂英雄カンザスシティ・ロイヤルズでの3回目の登板を行った記事を読んだ。今度も過去2回同様、肝心な場面で失点を許し、はかばかしい結果を残すことができなかったことを新聞は伝えている。最初の渡米から10年以上。腰回りには年齢相応の肉がしっかりとつき、当時のしなやかな鋼のような若者の印象はどこかへ行ってしまった野茂のメジャー挑戦は終わりを迎えようとしているらしい。それにしても、この長きにわたってよく頑張ったものだと、その気力、執念に敬意以外の何ものも覚えることはない。活躍の場所を海外に求める日本人の先駆者の一人として、この人の名前は語り継がれていくだろう。

野茂の記事を読んだ直後、パソコンを開いたら『三上のブログ』でカリフォルニアの大学に1年間いらした三上さんが、社会保障番号(SSN)を申請した際の思い出話を、その当時に日本に向かって送った文章によって紹介なさっているのを見つけた。長いエントリーだが、思わず引き込まれるようにして読んだ。

■合衆国社会保障番号(SSN)申請の思い出 (『三上のブログ』2008年4月19日)

僕も1995年から4年少々ニューヨークに駐在した。ただ、三上さんのようにきちんとした記録を作らなかったので、すべての記憶が朦朧として霧の向こうに沈んでいるよう。そのかすかな記憶の澱の中に、「Social Security NumberSNS)」という言葉によって喚起されるごく断片的なシーンがある。

そのSSNの申請に家族を連れて社会保険事務所へと行ったときのことだ。僕が3月に渡米し、家族は7月にやってきた。だから間違いなく1995年7月の話だ。マンハッタンのビルの中にある事務所に行った。誰も頼る者がない異国で、家族の皆は小さくなっていた。僕が思い出すのは、その事務所の中で、申請者の交通整理をする役回りの、背の高い黒人のお兄さんが、当時7歳だった長男に笑顔で語りかける風景である。不安の固まりのような顔つきの息子に向かって、日本人だと知ったその職員が語りかける。

「You know Nomo? Baseball!」

笑顔でボールを投げる真似をする。そのようにして、見るからに不安げな子供を元気づけようとする黒人男性。その年、メジャー最初の歳をロサンジェルスで迎えた野茂は、4月の開幕からめざましい活躍を見せ、ニューヨークですら彼の名前が時の人として知れ渡っていた。思わずこちらの頬が緩む若者の優しさだったが、子供は何のことかをすぐ理解してもなお、緊張し続けていたように思う。あれから13年、小さな小学生だった子供が今年成人となった。その短くない時間を経てなお、野茂はメジャーに挑戦している。肉体は13年を確実に刻んでいるのに、気力はあの頃のまま。野茂という名前を聞くと、だから僕は自然に仰ぎ見るような気持ちになってしまう。