僕にとってのブログ

CNET Japan佐々木俊尚さんのコラムで「ブログ限界論」をめぐって集まりがあり、当日の会合もそれに前後するブログ界隈でもそれなりに盛り上がったのを知る。佐々木さんの文章や徳力基彦さんのブログなどでその様子を想像することができる。そもそもの発端は、ここにあるRTCカンファレンスの案内 にある一文「最近ブログつまらなくないですか?」のようだ。

片や米国などに目を向けると、従来型メディアを凌駕する勢いでユーザーを集め続けるブログが多数存在し、ブログメディアを媒体とする広告市場なども日本の数百倍の規模にまで膨れ上がっています。この差はいったいどこにあるのでしょう。

そもそもブログをマスメディアの文脈で理解しようとするこの問題設定は、問題設定自体がブログの発展を考える姿勢としては違っていると思う。僕も自分がブログを始める前、始めた当初は1対多のマス媒体を個人で始めたつもりが強かった。しかし、しばらくやってみて、これはどうも違うなと思い始めた。半年ぐらい経った頃にそのことを強く意識し始めたと思う。ごく簡単に言うと、マス媒体に出ている人がブログという世界で文章を書く流れはあるが、ブログをやっている者が自然とマス媒体に取りあげられることはないということだ。このことは、目に見えないがとてもはっきりした制度の存在をあらためて露わにする。ブログの存在する地平は、そうした権威のバーをまたがない世界に広がっている。これがよいことなのか、そうではないのかは、特定の文脈に照らさないと答えは出てこない。僕自身、このことを意識したときに、「これはやっぱり一度本を書いて出直した方が(ある種の)効率は良さそうだぞ」と思った。昨年の12月、1月とエントリーを減らしたときには、そんな道草をくってある種の文章を書きためていた。けっきょく、この件は故あって早々と頓挫したのだが、まあそんなことをしながら、商用メディアとブログ(逍遙メディア)の関係は常に考えを巡らしている。

特定の分野、テーマをめぐって自らのポジションを文章で世に問うつもりがあるのなら、まずはブログなんかしないでちゃんと一冊の本を書くのがよい。ブログはそのあとだ。出版社はよいネタは喜んで取りあげたがっている時勢だから、がんばれば本を出すことはそんなに難しくない。そんなにというのは死ぬほど困難ではないという程度の意味合いだが、やはりどんな分野であれ、編集者を説得できないようなクオリティでは、そもそもそれを世に問うことはできないと考えるべきだろう。出版には、そうした他者の中立的な判断を仰ぐ機能があって、これは馬鹿に出来るものではないと僕は常々考えている。ブログの場合、高いクオリティのテキストも、そうではないテキストもスルーされてネット上に出てしまうので、よほど本人に気概や能力がないと、本を書くようなクオリティを担保するのは難しい。そうではない分野もあるかもしれないが(とくにIT系の世界などでは)、アクセス数が質の高さを保証できるほど文系の領域の専門家はネットの世界に出てきていない。

ではブログの価値は何かと言えば、僕にとっては、これはある種の井戸端会議なのだと思う。梅田望夫さんの言葉で言えば“島宇宙”ということになるだろうが、コメント欄のきらりと光るひとこと、トラックバックでの指摘、はてなスターで知るブロガー仲間の思想や感受性、そしてブログを通じてリアルの世界で出会うことができた何人もの方々の存在が、自分自身にとって今日を生きるための大きなエネルギーになっているという実感。井戸の周りにどんな素晴らしい人、自分にとってかけがえがない人がやってくるかもしれないわくわく感。それがブログなのだ。エントリーへのアクセス数が増えようとも、あるいは反対に減っていくとしても、一度手にしたこの基本的な感覚は変わらないのではないかと思っている。