夏目雅子に

『yasuの「今日もブログー」』のyasuさんが最新のエントリーで映画「瀬戸内少年野球団」を取りあげている。その一節を読んだ瞬間にある記憶のスイッチが起動した。

何よりも観るものを虜にするのは、教壇に立つ駒子先生を演ずる夏目雅子の圧倒的な美しさ。 この映画が公開された翌年、急性白血病で28歳の若さで惜しまれて世を去った女優は、この映画で永遠にその姿をスクリーンに残したといえるだろう。 単に容姿がきれいだというのではない、日本女性の品格、感情の豊かさ、抑制された輝きをこれほどまでに捉えた作品は稀である。
(yasuの「今日もブログー」)

おそらくそれは1983年のことではないかと思う。いや、もしかしたら、彼女が逝去した1985年だったかもしれない。同じ勤め先の事務職の女性から昼休みの直前に「お願いだから一緒に来て」と拝み倒された。
夏目雅子の出る芝居の舞台稽古が勤め先のオフィスの道路を挟んで向かいにあるビルであるのだという。その、僕より一つか二つ年上だったはずの女性は夏目の大ファンで、ぜひ一緒に写真を撮って欲しいというのだ。僕が選ばれたのは、別に僕の写真の技術が認められたからではなく、たんにいちばん若い男の子で使いやすかったからに過ぎない。おやすいご用と、ともかくついていった。

それにしても、どの時代にも熱狂的なファンというのはいるものだ。その舞台稽古の場所や時間を彼女はいかにして入手したのだろうと、今でもその熱意に対する畏怖の念を驚きとともに思い出す。いまのようにインターネットがあって、ブログやSNSや、検索エンジンでたちまち情報が共有できる時代ではない。僕の同僚だった女性は、そんな中、一般にはまったく公にされていない稽古場に、夏目雅子がある日のある時間にやってくるという情報をしっかりと把握していた。それが今日の午後1時だという。場所は、横断歩道を渡った何の途轍もない小さな雑居ビルだ。芝居の稽古場などと看板があるわけでもない。

僕の記憶は、そうやって拝み倒されて、ひょこひょことその場所についていったこと、ビルの入り口を入った陳腐な階段の前に夏目本人が現れて、そこでインスタント・カメラでツーショットを撮ってあげたこと、依頼をした女性は嬉しくて飛び上がらんばかりだったことなどを断片的になぞることができる。だが、もっとも記憶に残っているのは、夏目雅子の美しさに僕自身が驚いたことだ。

女優というのは、こんなにきれいな存在なのかと目を疑った。そのことを鮮明に記憶している。肌の透き通るような白さも普通の人とは違うと思った理由のはずだ。また何よりも目の力。実に美しく、何かを訴えるような眼差し。そして、どこがどうと理由をとりだして説明しようとすると、その瞬間に失せてしまうような美しさのオーラとでも言うべき不思議な気の存在。

だが、悲しいことに、そのときに会った夏目が実際にどのような表情をしていたのか、久しぶりに思い出そうとしてもぼんやりとしか思い出せない。つい数年前まで、それは思い出そうとすれば引き出せる映像だったはずなのに、いまは彼女が何を着ていて、どんな表情をつくったのか、僕の頭の中にある映像がどこまで後の映像に邪魔されていないオリジナルなのか、判然としない。

ちなみに、当時の僕には夏目雅子という女優に対する関心はこれっぽっちもなかった。作品もわずかしか鑑賞したことがない。日本テレビの『西遊記』の三蔵法師役も知らないし、「なめたらあかんぜよ」と決めぜりふが流行り言葉になった『鬼龍院花子の生涯』も『瀬戸内少年野球団』も観ていない。だから何の期待も先入観もなく、それだけに彼女が現れた瞬間になんというか、場末の人気のないビルの空気が変わったことに今の僕はあらためて驚く。

夏目は我が同僚の女性が声をかけたのに対し「あら、待っていてくれたの」といった言葉を微笑みながら返し、差し出された紙と筆記具でサインをしたはずだ。そして、さきほど書いたように二人が並び、僕が写真を撮った。そういうことをすることに慣れている人だったのだろう。それらの行為が柔らかく流れるように、生まれて初めてあった他人に対してどうしてできるのだろうと不思議に感じられるような自然さの中で行われた。時間にして1分程度だったのではないか。

僕はそれから、何年かに一度、突然思い出しては「女優さんってほんとうにきれいなんでびっくりした」という話を、酒の席で紹介したりしてきたのだけれど、そして、その後にも先にも、有名女優などお目にかかったことのない僕は「生身の女優は信じられないような美しさを身にまとっているんだ」と信じていたのだが、最近思うようになった。おそらく僕は「女優さんは」ではなくて、「夏目雅子は」と言うべきだったのだ。

ちょっとした人生の一こまの思い出話。阿久悠原作の『瀬戸内少年野球団』は、残念ながらまだ観ていない。