ブルックナー交響曲第5番はどの録音がよいか

今日はクラシック音楽おたく以外の方にはどうしようもなくつまらないネタになりますが、お許しください。知り合いのK氏から「ブルックナー交響曲第5番の録音は何がいい?」とメールが入っていました。浅薄な知識しかないし、そもそも人の好き嫌いは偏っているもの、どこまで信じて頂いていいのか分かりませんが、この曲、個人的に大好きですので私なりのお勧めをさせて頂きます。

K氏は「最初にショルティで聴いて、次にクナッパーツブッシュで聴いたらまるで違う曲かと思った」とおっしゃっているのですが、これはまさにおっしゃるとおりで、半分別ものです。有名な話ですが、ブルックナーは生前“改訂魔”として知られており、多くの曲を何度も書き直しをしています。この曲の場合は本人の筆ではなく、お弟子さんの指揮者、フランツ・シャルクが初演を行った際に大幅に筆を入れた結果、ブルックナーのスコアとはまったく違ったものが出来上がってしまいました。悪名高い「シャルク改訂版」です。

Kさんがお聞きになったショルティクナッパーツブッシュの違いは、この両版の違いで、ショルティ音楽学者のノヴァークがまとめたノヴァーク版、クナッパーツブッシュがシャルク改訂版の演奏です。ウィーンフィルと入れたクナの演奏はブルックナー録音史に残る名盤と言われていますが、シャルク改訂版での演奏であるためにKさんがおっしゃったように「別の曲」として扱うのが正しいように思います。曲を聴いた印象がまるで違うので、これらを同じというのはどうしてもためらわれます。

専門家もファンもシャルク改訂版を嫌う人は多く、数年前に逝去したブルックナー指揮者、ギュンター・ヴァントもそうでした。音楽学者の前田昭雄がレコード芸術誌の依頼で何度かヴァントさんにインタビューをしました。前田さんは気むずかしく人嫌いの毛があったヴァントにものすごく気に入られて、その後何度か、自宅にも招かれて仕事というよりも交友を展開していますが、そのインタビュー記事の中で、前田さんがクナッパーツブッシュのシャルク版の演奏の話を少ししたら、ヴァントが「私の前で、その名前を二度と口にしないでほしい」と血相を変えた様子が書かれています。面白いです。ちなみに、前田さんはクナの録音がとても好きでいらして、そのことを以前エッセイに書いていらっしゃるのです。

ブルックナーには熱狂的なファンがいる一方で、「同じようなフレーズの繰り返しがまどろっこしくて、地味で、やたらと長くて、とても聴いていられない」という人がたくさんいます。これは彼が生前の頃から存在した、ある種の典型的なブルックナー作品の受け止め方のようで、シャルクはよかれと思ってその曲を分かりやすく、聴きやすいよう、聴衆の受けがよいように変えてしまったのでした。繰り返しの多いフレーズをぶった切ったり、シンバルを鳴らして派手にお化粧したり、よりワーグナー風の響きにして人の耳に分かりやすくしたり、といった盛大な変更です。いちばん違うのが終楽章の変更でしょうか。有名なフーガの変奏が切られて、最後のコーダでシンバルが盛大に打ち鳴らされます。クナの演奏で聴くと、この最後の盛り上がりはものすごくて、初めて聴いた違和感は抱えながらもがんじがらめに捉えられてしまうところがあります。シャルク改訂版の録音はほとんどないはずで、私が知っているかぎりでは、レオン・ボッツタイン指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏があります。ただ、これは録音が新しい(90年代後半の録音)というだけで、クナ版の熱狂はどこにもありません。拍子抜けするほどです。けっきょく、版よりも演奏家の力量がものをいうということを知るためには一聴の価値はありますが、その程度の演奏です。

クナの録音で昔から知られているのはウィーン・フィルと入れたものですが、私がだんぜんお薦めしたいのはミュンヘン・フィルと録音した非正規版です。おそらくFMエアチェックかなんかの音源ではないかと思うのですが、録音はいまいちです。最初聴き始めたときにはお金を損したかなと思います。ところが聴き終わったときの印象は圧倒的で、あらゆる曲を視野に入れても、交響曲をこれ以上の迫力で聴かせた演奏がほかに何かあるかな、と思ってしまいます。ウィーンフィルとの有名な正規版は、これを聴いてしまうといかにもスタジオで採られた、整頓されただけの演奏に聞こえます。ブルックナーが嫌いではないという方には120%お勧めします。

シャルクとクナの話ばかりになりましたので、通常の版(ハース版ないしノヴァーク版)の演奏に戻りますと、私がもっとも愛好するのはギュンター・ヴァントがベルリン・フィルと初めてブルックナーを録音した一枚。これは掛け値なしに最高。語り口のうまさ、構成力、静謐さと迫力、すべてがあるように感じます。普段私は「決定盤という考え方は間違っている」と言っているのですが、この曲に関する限り、ちょっとその信念がゆらぐほどの印象をこの演奏に対して持っており、一枚勧めるのであれば、これでいいというのが私の正直な感想です。

ブルックナーっておもったるくっていや」とおっしゃる向きにはドフォナーニとクリーブランド管弦楽団の録音をお勧めします。なんというか、さらりとしていて、押しつけがましいところがない、ブルックナーにしては珍しい録音。嫌いな方はこれでも駄目でしょうけど、そもそも重たい曲である第5番におけるこうした解釈はまた貴重ではないかと思います。

さらりではなく、ひたすらゆったりとした演奏を聴きたいという方には、ハイティンクウィーン・フィルと入れた新盤あたり。ウィーンフィルの弦はさすがです。

重たいのがいい!という方にはいくつもある朝比奈隆センセの5番はどうでしょう。朝比奈さんがシカゴ交響楽団に客演して話題になったときにも、この曲を持って行きましたっけ。

フルトヴェングラーはやはり欠かせません。この曲には二つの録音が残っており、1942年のベルリン・フィルとのものと、50年代のザルツブルク音楽祭ウィーン・フィルとのもの。ウィーン・フィルとの録音など蚊の鳴くような音を一生懸命に聴き取る必要があり、この手の録音になれていない方にはとうていお勧めできませんが、何度か聴いてそこで披露されている演奏の圧倒的な迫力を感じてしまうと、ちょっと手放せなくなります。フルトヴェングラーってほんとにすごかったんだと感じ入ってしまう。ただ、人によってはザルツブルク音楽祭盤よりもベルリン・フィルとの盤を勧めるケースがあり、どちらがよいかは好みの問題になると思います。録音の悪さは大きなマイナスですので、あれこれ聴いたのちに手を出す一枚(二枚)でしょう。

このほかにも昔から評価が高い穏やかなヨッフム盤、カラヤンらしい様式観のカラヤン盤、この人の割には力こぶがはいっているシューリヒト盤、相変わらず精密機械のショルティ+シカゴ盤などよい録音がたくさんあります。やたらとコラールを派手にならしたがるアバド盤、いつものように遅いぞチェリビダッケ盤など、私にはちょっとと思うもののありますが、けっこう録音に恵まれた曲ではないでしょうか。



ブルックナー:交響曲第5番

ブルックナー:交響曲第5番

ブルックナー:交響曲第5番

ブルックナー:交響曲第5番