江川から大場までの距離

一昨晩、帰宅後にドラフトでソフトバンクの一位指名を受けた東洋大学大場翔太投手が満面の笑みを浮かべてインタビューに応じ、王監督に挨拶をしている映像を見た。大場君の、うれしくって仕方がないといった笑顔を見ながら、30年で世の中がどんな風に変わるものか、しみじみと思いをめぐらすことになった。

1977年、法政大学の"怪物"江川卓はクラウンライター・ライオンズに指名されたが、こともあろうに「九州は遠い」と口にして入団を拒否、野球浪人をする道を選んだ。福岡出身者として、またライオンズファンとして、あの「九州は遠い」はこれ以上ない屈辱に感じられた。ライオンズが所沢に売られていくのは、その数年後。あの時江川が来ていたら、ひいきのチームが忽然と消える、ファンにとっては悲しい空白の時代もなかったのではないかと、そんなことを考えるだに"江川許すまじ"の気持ちは消えないのである。半分は冗談だと受け取って頂きたいのだが、本気でそう言いたい気持ちは常にある。

同じ福岡在のソフトバンク・ホークスに、あるいは札幌の日本ハム・ファイターズに、学卒の選手たちは喜々として行くようになった。三全総四全総を経て、あるいはITの時代になって、日本は狭くなったのだろうか。30年という時間は日本人の意識がその程度変わる長さであるというのが僕がこの体験を通じて得た知識ということになる。でも、日本と外国の距離も同じように短くなったのかと考えてみると、それほどドラスチックには変わっていないような気もするがどうなのだろう。例えば、大学生が学校を出て外国で普通に就職するなどということが起こるのに、あと何十年かかるのだろう。何をするにせよ、何を見届けるにしても、人の一生は案外短いものだなとつくづく感じ入った。