1975年のカール・ベーム体験(4)

前々回のエントリーで書いたとおり、僕がベームのコンサートで本当に覚えているのは公演終了後に一人で舞台に現れたベーム翁の姿だけなのだが、このイベントがテレビとFMラジオで連日放送され、さらにはディスクとなって世に出ているために、この時の演奏はその後牛が草をはむように何度も反芻されることになった。あの時のベームウィーン・フィルを生で聴いたというのは、クラシックマニア相手にのみ胸を張れるオタクサークルの勲章みたいなものだが、実際の音の記憶は、むしろ全国に等しく流された放送本源とその繰り返し消費に依っているのだ。これは1975年のベームウィーン・フィルが日本で消費された状況の大きな特徴である。

すでに書いたようにベームウィーン・フィルほど連日の公演が放送の対象となり、FM生放送が入り、テレビでも流されたクラシック公演は、おそらくその後もほとんど存在していない。比肩するのは帝王カラヤン(「帝王」という冠は日本のメディアの造語)ぐらいだと思うが、来日機会がそれなりに頻繁にあったカラヤンベームの稀少度合いは、ベームの方がかなり高かった。そう、書き忘れたが、この公演はNHKの放送開始50周年記念事業だった。

さらに、一般の世帯にも新しい受け皿が登場していた。ラジカセの普及である。我が国の家庭にラジオカセットが入り普及し始めたのは1970年代が始まった頃ではないかと思う。記憶をたどると、(うろ覚えで間違っているかもしれないけれど)我が家には1972年か73年頃にに最初のラジカセがやってきたはずだ。ベームの公演は、一般大衆が“エアチェック”を普通にし始めた時代の初めての巨大クラシック公演だったのだ。このことが、僕が、いや僕を含む音楽好きの大衆が、このイベントを“記憶”している時代背景だ。外部装置が記憶を補助する時代がやってきたのだ。

当時の僕は、公演の模様をカセットテープに録音して繰り返し聴いた。そのようにしてベームウィーン・フィルの初めての日本公演は、記憶として強固となり、この時演奏されたベートーヴェンの第7交響曲ブラームスの第1交響曲、さらにモーツァルトのジュピター交響曲は、僕の中で無視することが出来ない規範的演奏として定着することになった。

ちなみに、この時の公演はその後数枚組のレコードとなり売りに出された。レコード屋には「今後、この録音が販売されることは二度とありません」という宣伝文句が用意され、大いに購買意欲をあおっていた。学生分際にとって1万円近い買い物は清水の舞台から飛び降りる行為だったが、これは飛び降りざるを得ない。それから20年の後、海外駐在の機会に持っていたレコードをすべて処分したが、他の1枚と並んで、このウィーン・フィル日本公演のレコードだけは捨てられずに今も手元に残っている。

ところが、どっこい、グラモフォンの大嘘つきはCDが出始めた1980年代前半にも、この時の音源をCDで再発売しやがった。口惜しいが、これも1枚だけ買っちまった。ブラームス交響曲第一番。ベーム自身が絶賛し、このシリーズの伝説になった演奏だ。

その後、クラシック公演の希少価値はどんどん低下する。生の演奏に接する機会はやはり限られてはいるものの、ベルリン・フィルウィーン・フィル定期演奏会が有料放送のコンテンツとなっていかばかりかの対価を支払えば誰にでも楽しめる時代がやってきたからだ。そうなると生演奏の後光もやはり昔のまぶしさはどこかにいってしまう。さらに音楽消費仲間のYさんが教えてくれたところによれば、今や世界の主要オーケストラがインターネットでご当地のFM音源を使って定期演奏会を流しているのだ。これには驚いた。

Yさんに教えていただいたなかから紹介すると、ボストン交響楽団が、金曜日の午後1時(現地時間)から。

http://www.wgbh.org/schedules/episode-list?program_id=52748

シカゴ交響楽団はここ。
http://www.cso.org/main.taf?p=15,1

こちらはバイエルン放送響。
http://www.br-online.de/programme/bayern4/


実はまだまだたくさんあります。というわけで、日本公演ということもさりながら、有名オーケストラのライブ録音から、カール・ベームの立ち姿からアウラが放散されていた1970年代は遠くなりにけり。時代は変わり地球は狭くなってしまった。

ここで筆を置きアップしたのだが、ふと、思いついた。あの時の録音はまだ市場に出回っているのだろうか? 検索してみた。かつてレコードで買わされた一連の演奏の記録がそのまま7枚組でCDになっていた。

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