カール・ベームは1975年に日本に来た後、77年、80年と続けてやはりウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場と来日した。僕は75年に続いて最後の来日公演となった80年のベートーヴェンを聴いた。この前にベームのことを書いた際に「82年の公演」と書いてしまったが、あれっなんか違うなと思って調べてみたら80年だ。ベームの没年は1981年、最後の日本公演は80年だった(以前のエントリーは修正させていただきます)。
昭和女子大学の人美記念講堂のこけら落としの一環として行われたこのコンサートではベートーヴェンの交響曲第4番と7番が演奏され、その模様は過去のウィーン・フィルとの来日公演同様、NHKで放送され大きな話題になった。会場は終演後「ブラヴォー」の歓呼に包まれ、熱狂の場と化していたが、時を経てライヴの熱が冷めていると、この時の演奏はベームが日本を訪れたこと自体の音楽史的な価値はさておいて、演奏自体に75年、77年ほどのインパクトはなかった。
いくら何でも遅すぎた、と思う。何がって曲のテンポである。75年のウィーン・フィルとの初来日時、すでにベームのテンポはかつてに比べて遅くなってはいた。しかし、この時にはそれ自体が一種の威厳を表しているように感じられたし、それは今聴き直してみると60年代のベームと地続きのスピード感を内包した遅さだと言ってよい。ところが、77年、80年とベーム翁のテンポはますます遅くなっていき、80年当時も、「いくらなんでもちょっと弛んでいる」という冷静な感想は少なくなかったのではないか。
ベームがそうだったように、年を重ねていくとテンポが遅くなる指揮者は少なくない。バーンスタインだって、最後は遅くなった。朝比奈隆だってそうだった。これらの人たちを聴いていると、芸風が深まった末にテンポを遅く取るように意思決定を行ったというよりも、むしろ自然の命ずるままにテンポがゆったりとしてきたという風にとれる。チェリビダッケのように戦略的に遅いテンポをとり、虫眼鏡で楽譜の細部をあばくようなスタイルを積極的に選んでいた人と違って、若い頃は躍動感のあるテンポを取っていた指揮者が自然とテンポが遅くなるのは面白い。なかにはゲオルグ・ショルティのように、80歳過ぎても自慢の人間メトロノームのようなテンポ感がいささかも揺るがなかった人もいるにはいるが。
たぶん、これらの人たちは遅くしている意識なしに遅くなっていた部分の方が大きかったのだと思う。歌手や器楽奏者は80歳を過ぎてまで演奏することは普通はないし、人の時間感覚の変化をこうした指揮者の例のように知る機会は実はあまりない。時間のない、あちら側の世界にわたるときに向かって、老いていくと人の時間はゆったりと流れるようになるような先入観を我々はまま持つのだが、実は他人から見てその時間・音楽がゆったりと感じられたとしても、それこそは当事者にとっては適切な・折り目正しい・てきぱきとした時間の流れとして存在しているのではないか。もっと若い頃から頑固で融通が利かず、どうみても目立つために芸風を変えるというタイプではなかったベームのテンポの緩みに接するとそんなことを思う。
どうしてだろう? 我々の自我はありあまる時間の退屈さに耐えられないから、と今日はとってつけた文学的仮説で筆を置くことにする。
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