横浜戸塚=東京、徒歩の旅

黄金体育週間ということで、一昨日、横浜市戸塚の我が家から東京駅まで歩いてきた。箱根駅伝の9区(23キロ)と10区(21キロ)をゆっくりとたどったことになる。駅伝の選手が疾駆する道をとろとろと歩いただけなのだが、ばてた。


昨年は4月半ばに東京駅から横浜駅までおよそ30キロを歩いた。平地を長距離歩くのはそれ以来。去年は連休に山に行くトレーニングのつもりだった。今年は二日前に丹沢に行った直後だったが、なんとなく歩き足りない感じが残っており、痛めたと思った膝の状況も大過ない様子だったので、平地なら平気だろうとトライしてみた。


40キロを超える距離を歩くのは自分にとってはちょっとした冒険だ。去年30キロをやってみて相当こたえた。歩きに歩いていた十代の頃ならともかく、40歳を過ぎ、50歳が視野に入ってきた我が身にとっては平地ですら結構なチャレンジの場所になってきたということだ。だが、いくつになっても、自分ができる少し先を狙うのは、そのこと自体に意義がある。戸塚=横浜は東海道線に乗れば5駅、わずか40分の区間だが、43キロを歩くのは一日がかりを覚悟になる。昨年はかなりスピードを上げたために30キロがやっとだった。その教訓を得て、今年はゆっくりと1時間4キロ少々のペースでいこうと心に決める。


朝7時に我が家を出発。横浜駅までの約13キロは年に1,2度は運動のために歩く道のりなのでどうということはない。むしろ、先を考えていかに省力ペースでたどれるかが問題だ。というのも、歩き始めはどうしてもうきうき気分でがんばってしまう。イチニッ、イチニッと行進風に足が出るのに合わせて「あるっこー、あるっこー、わたしは元気〜」などというメロディが浮かんでくる。これは危険だ。絶対にそのうち元気じゃなくなる。そこで、心の内に鳴り響く『となりのトトロ』のメロディを無理矢理打ち消して、『雨に濡れても』を口ずさみながら進むことにする。このノンシャランなムードは正解だ。今日はこれで行こうと心に決める。

戸塚の街を進む


まだ朝の静けさが漂う時間帯、旧東海道戸塚の宿から国道一号線を横浜方面に向かう。国道一号線は物流の便がよいということだろう、大企業の工場が並んでいる。最初に見えるのは日立製作所。戸塚は日立の街だ。


古い切り株の上に大きなキノコが。なんだこれは? mmpoloさんに教えてもらわねば、と写真を撮る。
(7時36分)


進行方向の左から、駅伝コースが合流すると、続いて見えるのはブリヂストン。その先にはポーラ化粧品と続く。ぶりっこの屋根は山崎パンの工場。
(7時44分)


権太坂を超えて横浜駅


箱根駅伝で2区、9区の難所と放送される権太坂は緩くて長い上り下り。写真ではわかりにくいと思うが、これは下っているところ。ここを降りると、気分は横浜駅だが、まだ1時間程度はかかる。
(8時30分)


保土ヶ谷駅の手前で鯉のぼりに出会った。「写真帳」に昨日風に泳ぐ写真をアップした。
(8時58分)


どんどん歩く。保土ヶ谷駅を過ぎる。もう2時間以上歩き続けている。国道一号線と併走する横須賀線。あれに乗れば40分だよ。
(9時16分)


あと20分で横浜駅だ。右手前に日本一の高層ビルであるランドマークタワーが見え始める。今日はこちらは通らない。川崎まで13キロの標識が重たく感じられる。
(9時29分)


やっと横浜駅に着いた。時刻はもう9時48分。2時間50分は予定通りかなりゆっくり目のペースだが、それなりに足に疲労が来始めている。


横浜から鶴見へ

箱根駅伝9区の後半戦、横浜から鶴見への単調な歩きが始まる。横浜駅までは権太坂の登りがそれなりの気分転換になるのだが、ここから先はとくに面白いものもない単調な産業道路。ともかく歩くのみの世界に突入する。ウォーキングがいいのは、けっこういろいろと考え事をする時間に使えることだ。自転車だとそれなりに緊張しているので思索の時間というわけにはいかないが、こういう歩きだといろいろなことを考える。ほかにやることないし。といっていられるのは鶴見までなのだけれど。


横浜から歩き始めてほど近い場所にある良泉寺は古いお寺だそうで、横浜が海港した頃には外国の領事館にお寺が取られるのを見て、わざと屋根を壊し「修理中で使えませぬ」と幕府に報告したという知恵者の和尚さんがいたそうな。
(10時22分)


キリンビールの生麦工場が右手に見える。サッポロビールがスポンサーをつとめる箱根駅伝は、このキリンの主力工場の脇を選手たちが駆け抜けるが、ぜったいにテレビには映らない。キリンの重役はお正月に自社宣伝部門の不明を恥じて歯ぎしりしているのだろうか。
(10時59分)


瓦屋根の古めかしい銭湯があった。ツツジの花がきれいに咲いていた。
(11時11分)


日本橋(東京駅)まで24キロ」の道標に「よっしゃー!」のかけ声が漏れる。もうすぐ歩き始めて20キロ。かなり疲労がたまっている。いつの間にか『雨に濡れても』なんて余裕のある状態ではなくなっている。無念無想で足を前に送る。
(11時15分)


第9区と第10区の中継地点である鶴見にやっと到着、半分を歩き通した。COCO壱番屋のカレーでお昼ご飯。どんなまずいものでもおいしく食べられそう。COCO壱番屋のカレーはグルメ料理に思える。
(11時33分)


鶴見から品川へ


ご飯を食べて、歩き始めてすぐの場所で。事故現場では手向けられた花束が茶色に変色していた。
(11時54分)


川崎市だ。急に道幅が広くなるが、歩きやすさに変わりがあるわけではない。と言いたくなるぐらい余裕がなくなりつつある。
(12時10分)


万歳、ついに多摩川が見えた。多摩川を越えるというのは、前回も気持ちのなかにしみじみと沸き立つものがあった。
(12時46分)





多摩川の河川敷にはホームレスのブルーのテントが目立つ。その横ではゴルフの打ちっ放しに興じる人たちが並んでいた。
(12時50分)


多摩川を越えて東京都に入った。売れ残った看板スペースの白地が目に鮮やかだった。
(12時58分)


日本橋まで18キロ、品川まで10キロ。よし、ついに20キロを切ったぞと喜びたいのだが、蒲田に着く前あたりからどんどん足が動かなくなってきたのを自覚する。
(13時00分)


「大吉」とは縁起のよい飲み屋さんだこと。一杯やっていきたいものだが代わりに写真で我慢する。この先は実に長い。1キロの体感距離がどんどん長くなる。この先がくんとペースが落ちる。写真を撮る気持ちの余裕もなくなってくる。
(13時57分)


ついに品川のビル群が見えてきた。足下はよたよた。「35キロを超えてからが勝負です」としゃべるマラソンの解説者の声を思い出す。なるほど。しかし、彼らはこの距離を2時間ちょっとで走るんだと超人の世界に思いをはせる。
(14時49分)


品川から東京へ


品川駅西口前を通過。初めて「銀座」の文字が登場。向こうに見えるは懐かしの東京タワー。あと6キロで終着だが、足はますます動かなくなってきた。あとは惰性で行くのみ。
(15時13分)


これは何でしょう。東京タワーです。
(15時13分)


勝海舟西郷隆盛はここで会見をしたのかとは思うが、疲れすぎて感慨なし。ほとんど足を引きずりながら歩く感じになってきた。歩くペースはますます落ちてくる。
(15時39分)


ついに、ついに銀座へ侵入。銀ブラのおばさんのペースについていくのがやっと。太ももがつりそう。
(16時15分)


夢にまで見た東京駅。4時36分到着。もうちゃんと写真の構図を考える気力もない。昼休み、カメラ休みを含めて9時間20分のおめでたい一日が終わる。