ドイツの携帯電話

2000年というと、もう7年も前になるのかと、あらためて驚いてしまうが、その頃に出した翻訳本の著者はドイツではメディア研究で著名な学者先生で、90年代前半に仕事で知り合って以来、個人的にずいぶんと可愛がっていただいた。背も高く、また横にも大きかった先生は2年前、いやもう3年前になるだろうか、出張に出かけたベルリンの空港で倒れたまま帰らぬ人となってしまい、その報に接したときにはあまりの急な知らせに呆然とするよりほかなかった。まだ60歳を少し過ぎた若さだった。東京で、ベルリンで、またニューヨークでもお会いした。ドイツでは先生の別荘にもご招待いただいた。先生のご恩に対しては言葉にならないほどの感謝の念を抱いている。


ドイツという国も、福岡が東京に対して、あるいは日本がアメリカに対してコンプレックスを抱いているのと同じように、やはりアメリカに対して憧れとコンプレックスを感じているのが明らかで、そんなところはとても日本と似ている。もちろん、論理と哲学の国であるドイツの人たちは考え方も情緒の持ち方も日本人とはまったく違っているから、ときどき日本で「ドイツ人と日本人は似ている」という人がいるのは、美しい誤解の類だと思う。ただ、アメリカを中心とする世界の成り立ちのなかで、あるいはアメリカに対する歴史的な関係の記憶において、日本とドイツの置かれている立場、そこから立ち上がってくる人々の反応に似たところがあるのも確かではないかと思う。それをメンタリティと呼ぶのだろうか。


ベルリンで会った若い大学関係者は、食事の途中に「ニューヨークに比べるとベルリンはきっと田舎なんだろうねえ」と、かなわない敵に降参するような眼差しで僕を見てきた。「別に比べなくてもいいんだけど」と僕は心の中で思った。ボンで通信会社を訪問したときに出てきた下っ端の女性社員は、やはり食事中の雑談のなかで僕が目下ニューヨークに住んでいると話すと、いかに自分がニューヨークが大好きか、年に1度、どんなことがあってもニューヨークに遊びに行くのが最大の楽しみなのだとうっとりした眼差しになった。「ニューヨークに比べたら私が住んでるケルンなんて都会とは言えない」と言いながら、彼女は僕の背後に広がっているらしい摩天楼を心の目でしっかりと見つめている表情になった。


もっと一般的でわかりやすいドイツ人の米国好き(?)の証拠に、彼らが外来語として英語を好んで使う事実がある。ドイツに行くと、けっこうな頻度で広告やメディアの表現のなかに英語が混じっている。そういうのを見ると「日本と一緒じゃん」と思ってしまう。そして、これも日本と同じなのが、それらの英語が中学生レベルの簡単な表現や単語である点だ。もっとも典型的な例を挙げると、ドイツでは携帯電話のことを「handy」と呼ぶのだ。大学のメディアの先生たちが「handyがどうのこうの」と言っているのを聞くと、なんだか可笑しくなってしまう。でも、彼の地では、「handy」なのだから、誰がそう呼んでもそれは仕方ないのだけれど。


件の先生にそのことを言ったことがある。

「ドイツで聞く外来語のなかで、いちばんダサイのはhandyですね」

僕はもちろんちょっとした雑談のつなぎののつもりでそう喋ったのだが、喋り出したら止まらないおしゃべりの先生が、その一言を耳にしたとたんに何とも形容しがたい、困惑というのか、悲しげなというのか、そんな色に翳った目を僕に向けながら一瞬黙ってしまった。大笑いされると思ったのに、冗談のつもりがそうならなかった後味の悪さが記憶に残ることになってしまった。たがだか「handy」の一言なのだけれど。


今日、帰りがけに街のなかで携帯電話の広告に「handy」の文字を見つけ、そんなことを思い出した。