資質と気質

bookscannerさんやfuzzyさん、三上さんらのブログと交歓してきたおかげで明日お会いすることになる美崎薫さんの『デジタル空間ハウス』(2003年 ソフトマジック)を読む。その上で2003年の文章『記憶する住宅 −ITリフォームから電脳住宅へ』に目を通し、続けて2005年の「『記憶する住宅』そして未来へ - 記憶を発想に高めるコンピュータ環境を作る」に目を通す。僕は誰か(たぶんOutLogicの杉本幸太郎さん)がWeb上で紹介してくれた記事か何かで美崎さんの名前と試みを読んだことがある。その程度の知識しか持っていなかった。これで美崎さんに関しては、やっと三上さんの一ヶ月前の知識に追いついたかもしれない。

■未来生活デザイナー美崎薫さんの途方もない実験(『三上のブログ』2006年9月28日)



美崎さんは、自身の体験を可能な限りデジタル情報に変換して蓄積し、それらを恒常的に再生することを通じて想起を高度化することが可能となるという仮説を立て、その仮説の検証を可能にするためのハードウェア、ソフトウェア、コンテンツを整備して壮大な実験を生きている。ご自身は「なければ作る」のが当たり前で、住宅を造り直し、そこに仕組まれるハードウェアを改造し、必要なソフトウェアを作成する。この方の中には、とんでもない思いつきを現実のものとするための知力とエネルギーの横溢がある。それは明らかに世の中の平均を大きく外れている。


ニューヨークの広告写真界というエスタブリッシュされた世界に挑んで、新しい表現の地平を切り開いてきた写真家・橋村奉臣さんの人生に大いに感銘を受けたこの一ヶ月だが、美崎さんの、生きる枠組みをご自身で切り開いていく人生もまた溜息のでるほど創造的だ。美崎さんのやっていることは、一つ一つが僕のような凡人には絶対に真似出来ない知力と執念の集積である。例えば、すべての紙媒体をスキャンしてパソコンで処理できるように加工しているという話に関連して。

OCRもたいへんだが、スキャン作業もたいへんだ、と身に染みて知った。「スキャナでデジタルファイリング」は、たいていはここで挫折するようだが、筆者は挫折しなかった。
『記憶する住宅 −ITリフォームから電脳住宅へ』より)


美崎さんは挫折しない人なのである。美崎さんの書いたものを読むと、最初から最後まで普通なら間違いなく「挫折するよう」な話がちりばめられているが、しかし、この方は資質と気質が最初から挫折しないように出来ているのであって、「たいへん」は常に乗り越えられる。この件に関しては、デジカメで撮影するという方法を考案した挙げ句に、1枚10円でスキャンをしてくれる外注先を見つけ育てるところまで美崎さんはやる。このスキャン費用が年間数百万円なのだそうな。普通の人は、やらない。こういうのを浪花節的レトリックが好きな人は"命がけ"と呼ぶのではないか。美崎さんの記述は常に飄々としているのだが。


楽しいのは、『デジタル空間ハウス』の中で紹介されている、狭くて人の手が届かない天井裏の配線を、猫にやらせるというアイデアとその実践に関する挿話である。飼い猫のクビにケーブルをつけて、うまく天井裏を歩かせれば配線が出来てしまうのではないかと考えた美崎さんは、ちゃんとそのアイデアを試してみる。普通の人は「猫の手も借りたい」というのは比喩の世界だと信じている。ほんとうに借りちゃう人はあまりいない。面目躍如。人間の気質はこういうところに如実に現れるのだ。 働かざる者食うべからず、美崎さんに飼われる猫さんはたいへんだ。

将来はすべての紙ベースの思い出にアクセスできるようにする、という野望を、いつごろから抱いていたのかはあまり正確ではないが、きちんと並べて整理していけば、忘れないだろう、とは、すでに高校生のころからおぼろげながら感じていたようだ。

高校生のときに遊びに来た友達が、筆者の部屋を「驚くべき記憶の堆積」と呼んだことがある。そのころすでに、膨大な紙が山積みになっていた。
『記憶する住宅 −ITリフォームから電脳住宅へ』より)


三つ子の魂百までの人生を突っ走って、「記憶する住宅」はどんどん進化を続けているらしい。ご興味がある方は、ご本人のテキストを御覧頂くのが一番だ。加えて『bookscanner記』でのコメントをご覧いただくのがいいかも。

■「Web2.0の一連のサービスについて、わたしはあまり高くは評価していません」(『bookscanner記』2006年9月29日)


美崎さんは、住宅内部のそこここに配置したコンピュータに必要な情報をタイムリーに表示すれば、連想や誘発、想起などの助けとなって、発想を支援することができるのではないかと考えた。 それを受けて、住宅の次には、デジタル化された情報を閲覧し連想や想起を手助けするアプリケーション、SmartWriterとSamrtCalenderが誕生する。

■「記憶する住宅」そして未来へ - 記憶を発想に高めるコンピュータ環境を作る
■Smart Project


デジタル情報になって記録された紙の情報はタグ付けされて検索されるようになっているわけではない。では、どうやってそれらの膨大な情報を利用するのか。美崎さんはSmartCalenderを使って過去から蓄積された100万のにも及ぶJPEGの情報をパソコンの画面いっぱいに数秒ごとに流しっぱなしに投影し続けるのだという。それによって、現在の美崎さんは一日のうちにいくつものご自身にとっての新しい発見の瞬間を獲得するに至っているという。美崎さんの日々の体験は、その資質と努力の賜である道具の力を借りて、決して忘却の彼方に消えゆくことなく、常に出し入れ可能なみずみずしい状態で、水道の水で洗われた新鮮なレタスのような状態で彼の前にあるらしいのだ。現在が年輪のように積み重なる人生とは如何なるものであるのか。もちろん僕にはまったく想像がつかない。


最近、勤め先で物忘れによるミスを2度もして、勤め先に迷惑をかけた。がっくりである。脳みその機能は本格的にがたつきがきはじめているらしく、最近は物を覚えている方が不思議なほどだ。自分の書いてきたものですら整理もせずに捨ててきた報いがついに身に迫ってきたらしく、そのうち自分よりも周囲の人間の方が自分という人間を分かっているということになりかねない。


こうしてブログを書き付ける生活が僕の壊れかけた脳に刺激を与えていることを考えると、ほんとはこういうずぼらな奴がちゃんと身の回りの整理をし、SmartWriteとSmartCalenderのような道具のお世話になるべきなのかもしれないが、資質的にも、気質の上でも僕には猫に小判かもしれない。こういう道具を使うには、それを活用して成果を上げるには、資質と気質が大きく影響するように思う。