Blog Life is Timing


茂木健一郎さんの『クオリア日記』に茂木さんと梅田さんの対談の話が書いてある。


インターネットが切り開いた、
誰でも知を得られるという状況の向こうに
見えているもの。
 それは、今までだったらunderdog(負け犬)
だったものたちにとっての逆襲のチャンスである。

 梅田さんは「反エスタブリッシュメント
とか、「未来への明るい希望」と表現した。
 梅田さんのおかげで、思考がより立体的に
なった。

 「茂木さん、リアルな世界における満足度と、
インターネットに対する関心は、反比例している
んですよ」
 「えっ」
 「茂木さんの言われる談合的世界で
自分の権益が確立している人たちは、ネットに
関心を持たなくても済みますからね」
 「あっ、そうか、そういえば、ネットを見ないし、
メールは他の人に読んでもらう、とか
いう人が時々いますね」
 「リアルな世界で満足していない人が、
ネットに関心を持つのですよ」
■「10ドルになります」(『クオリア日記』2006/11/6)


自分について言うと、ブログに対する関心はまったく梅田さんがおっしゃるとおり。「リアルな世界における満足度と、インターネットに対する関心は、反比例している」を地でいっていると言ってよいと思う。


僕の場合、何でもいいから「書く」ことが自分の精神衛生にとって重要であることにブログを始めてあらためて思い至ることになった。4年前に転職するまでは、何はともあれ、誰に対してであれ、ともかく「書く」ことが仕事の大きな部分を占める生活をしていた。今思うとそれだけで、書いているということだけで満足する生活を過ごしていたのだ。それが転職と同時に(いや実はパワーポイント等の普及によってその以前からじわじわとではあるが)「書く」世界から放擲されてしまった。結局、それによって生じた欠落感を埋め合わせる行為がブログとなっている。


それにしても、ブログに関してはいくつもの偶然を重ねてここまで来た。ちょっと振り返りたくなった。


①ブログを始める
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とブログを始めたのは、ブログというサービスがどのようなものかを理解するためにちょっと使ってみようと思ったことによる。ここで何か意味のあるものを書くつもりはほとんどなかった。身辺雑記をまったく日記の意識で書き付ける。人に見せる意志そもそもなし。もちろん誰一人としてやってくる者はいない。


橋本大也さんに取り上げられる(6月15日)
橋本大也さんの『持続可能なブログ会議』に参加して、その感想をひと言書いた。こちらはいつものように普通に日記に書くつもりで。ところが、トラックバックなどしないのに橋本さんがその文章を見つけて、ご自身のブログに参加者の感想の一つとして紹介してくれた。『横浜逍遙亭』の文字が他人のサイトに掲載されているのを見て驚いた。不思議な感慨が湧き起こった。
これを契機にブログ上で他人に読ませるものを書くという意識が芽生える。それと同時に、ともかく3ヶ月基本的に休みなしにブログを毎日書いてみるという実験をやってみることにする。というわけで、見られるサイトであるということを意識したこと、短期間続けて書いてみることを決意することになったことの二つの点で、橋本さんはこのブログの最初の恩人である。
■「アイデアマラソン」提唱者の熱情 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060616

梅田望夫さんにリンクを貼ってもらう(7月26日)
二人目の恩人は間違いなく梅田望夫さんだ。勤め先で梅田さんに講演をしてもらった話を書いたところ、『My Life Between Silicon Valley and Japan』で紹介をしていただいた。これによって、多くの方にこのブログの存在を知っていただくことになり、それ以降、何人もの方々に常連として来ていただいている様子。世に知られる最初のきっかけになり、その後交流を深める三上さんもそのお一人だ。他の方がどのような方かはいまだに分からないのだが。
実は、このブログでは「仕事のことは書かない」を方針にしている。そこで、この日も朝までは「今日は梅田さんにお会いするが、ブログに書くのはよそう」と考えていた。講演の素晴らしさに触れて、自らの禁を破り思わず書いてしまった。それをしていなかったら、その後の数ヶ月は全く違った展開になっていただろう。今の時点から振り返るととても不思議。「Life is Timing」(橋村奉臣)としか言いようがない。
■「梅田望夫さんにお会いする」 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060726


三上勝生さんに出会う(8月6日)
『三上のブログ』に取り上げられたときは本当にびっくりした。ここに書いたとおりで、僕は見ず知らずの方から、このようなかたちで支援を頂けるなど夢にも思っていなかった。梅田さんに取り上げられたのに続いて起こったこの出来事は、『横浜逍遙亭』に決定的な影響を与えることになった。三上さんがいなかったらこのサイトはない。また、よもや、このたった2ヶ月半の後にご本人にお会いすることになろうとは夢にも思わなかった。三上さんのまめさのおかげで、美崎薫さん、bookscannerさん、fuzzyさんらとの交流が生まれることになった。
■「日記の半歩先」 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060806

⑤『mmpoloの日記』に出会う(9月23日)
『mmpoloの日記』に出会ったことで僕の人生は豊かになった。この出会いが印象的なのは、はてなRSSリーダーキーワードウォッチ機能を入れたことを知った僕が、この機能を使い始めた当日に偶然検索したサイトであることによる。たまたま、この日に「吉田秀和」のキーワード検索機能をオンにしなかったら、mmpoloこと曽根原さんとお会いすることは一生なかったのかも知れない。
■「mmpoloの日記」 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20060923


⑥HASHIさんにお会いする
ブログの上での付き合いがリアルの世界での交流に広がるきっかけは写真家・HASHI(橋村奉臣)さんとの出会いである。出かけた写真展の感想を書いたら、それがきっかけでご本人と交流が始まるなどという幸運はまったく予想できなかった。HASHIさんが写真を撮るだけでなく、日頃からインターネットに関して大きな理解を示し、注視している人でなければ、この出会いは生まれなかった。さらにHASHIさんは「縁」を常に大切にする人だった。「インターネット」と「縁」。Timingは重要だが、ここにはむしろ必然を感じる。
■「HASHIさんにお会いする」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20061001

⑦HASHI展(10月28日)
三上さん、mmpoloこと曽根原さん、美崎さん、fuzzyさん、rairakkuさんというブログ上で交流してきた皆さんが一堂に会し、HASHI展を訪れるというとんでもない出来事が実現した。HASHIさんが三上さんの文章に感激し、ぜひ鑑賞をと上京を誘ってくれたのがそもそものきっかけ。芋蔓式にこれだけの人が集まったのは人生で忘れがたい体験となった。
■「一瞬の永遠」 http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20061030

⑧『記憶する住宅』訪問(10月29日)
三上さんが情報の収集と活用について真摯に考える人でなければ、また、HASHIさんが三上さんをその熱意で札幌から引っ張り出さなかったら、僕が美崎さんとお会いすることはなかったはずだ。『記憶する住宅』と美崎さんとの出会いは記憶から去らない体験になった。こんなことになろうとは思いもよらず。
■「『記憶する住宅』に美崎薫さんを訪ねる」http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20061103


あれ、こんなエントリーにするつもりなかったんだけどな。
でも、「Life is Timing」という言葉はブログを始めて以降の僕自身のLifeを物語っています。美崎さんはこういうのを必然と言うのかな。


最初の話しに戻ると、以前はブログは他に「書く」機会があればいつでもサヨナラする世界だと思っていた。しかし、こうして「縁」に彩られ始めた今、そういう感じでもなくなってきてしまった。ブログは不思議だ。