花もて語れ

昨日のコメントで、いつもお越し頂いている三上さんから掲載している写真の撮影情報を書いたらとお勧めを頂きました。ところが、ここに掲げている写真を撮っているのは、ほとんど説明に値しないご近所ばかりなので、三上さんのご要望に応えるのはなかなか容易ではないのです。例えば、ときどき掲載している「花」は自宅であるマンションのベランダか、我が家から10分も離れていない変哲もない道端、さもなければ子供の陸上競技を見に行った際に横浜市内の三ツ沢競技場の近辺で撮ったものがほぼすべて。どれも、あまり場所が意味をなさない写真に仕上がっています。


そうした実際的な理由もありますが、三上さんがお気づきのように、被写体に対して何かを積極的に語る気持ちが僕自身に薄いということもあります。実は、提案を受けて初めて気が付いたのですが、世間のブログを見ていると、写真を掲載して、それに対してコメントするという記述のスタイルが非常に多いようです。僕は、基本的には写真は写真が語るところにまかせればよいという主義です。とくに被写体に付随する意味、故事来歴や背景などについては、あまり興味がなく、形と色の面白さに心が動いたときに、そうしたフォルムが写真に昇華してくれたらいいなと思ってシャッターを押しています。フォルムそれ自体が重要なので、写真の背景や意味は僕の頭からは100%消えています。


もう少し付け加えますと、このブログはハンドルネームではなく本名を使って書いていますが、ブログを僕にとっての非日常の場所にとどめておきたいという気持ちは幾分なりとも働いています。そんなことから、仕事の話や自らの生活に密着した話題は意識的に話題に上るのを遮断していたりもしています。写真は僕にとってブログの非日常性を高める重要な小道具なので、そういう意味でも、日常から離れたフォルムでこの場所を飾るのを密かに楽しんでいるのです。


それにしても誤算だったのは、このブログに橋村奉臣さんのような本物の、それも一流の写真家がやってきたことですね。正直なところ、どれも素人の自己満足、プロにはみられたくないですね(笑)。


話をもとに戻しますが、『三上のブログ』の「藻岩山」や『rairakku6の日記』の瀬戸内海の写真を見ていると、皆さんがお住まいの地域の地勢を知る楽しさ、ブログという窓から覗き見る情報の新鮮さにはたしかに心躍るものがあります。ときには先週の「仙台」のように写真で語るエントリーも面白かもしれません。


そこで今日はそんなエントリーにしてみたいと思うのですが、冒頭の写真は我が家のベランダから見た富士山です。駅から歩けば20分少々の坂の上、不便この上ない、狭いばかりの我が家ですが、この眺めだけはかけがえのない取り柄です。この写真を撮ったのは、驚くほどの風雨に見舞われた翌日の10月7日。冬になれば毎日拝める富士山も、春・夏・秋の間に横浜から見える日は限られています。綺麗な空気の中にすくっと立ち上がった富士山に思わずカメラを取り出しました。いつ見ても見飽きない山ですね。