遅めの夏休みの残りの数日は

北海道旅行から帰ってから5日間、一度借りた本を図書館に返しに出た以外は家の中にたれこめて、芥川龍之介の『河童』と村上春樹のエッセイを読んだのと大リーグの放送を観た以外は、ほとんどすべて撮影した写真のアフターケアとブログ書きに費やしていた。たった三日の旅行、それもご案内いただいた三上さんとは違って僕は車の助手席に座って移動するか、勝手気ままに写真を撮るだけという大名旅行だったはずなのだが、それでも疲れは河口の泥のように溜まっていた。出かける気分にならず、じっとしていたい。そう、普段しない昼寝もしっかりとった。寝ると二時間起きあがれないのだ。こういうときに正直に年齢を感じる。

動き回る気が起きない分助かったのは撮った写真をブログ用に加工できたことで、やっと今日一通りの"現像"が終わった。こうも時間がかかったのは我が家のパソコンに馬力がないのが第一の理由。処理にともかく時間がかかる。
第二の理由はニコンD40めにある。正確に言えば、僕とD40との相性というべきだろうが、ある程度分かったと思った露出がやはり読めない。旅行中、晴れから雨まであらゆる気象条件があり、山があり、海があり、都会があった。そのときどきで出会う光の具合にうまく対応できないで、思いの外時間がかかるのだ。撮って画像を確かめて、また撮り直すという繰り返し。三上さんには相当辛抱強くおつきあいいただいたはずで、申し訳ない限り。最後には「いいや、後処理でなんとかしよう」と腹をくくって、途中からすべてRAWで撮影し、露出はオーバーにならないようにすることだけ注意した。そのつけが事後にしっかりまわってきたわけだ。

画像ファイルをあれこれと操作するのは時間がいくらあっても足りない作業になる。毎日、半日は現像ソフト「SILKYPIX」をさわりっぱなし。うちの奥さんからは、何をやっているんだかと冷たい眼差しを向けられるばかり。EOS 20Dのときには、こんなことなくて、カメラ任せのマルチパターン測光で「よし、これはマイナス1補正でバッチリ」などと経験頼りに操作するとだいたい間違えなかった。D40 ではさっぱり。ソフトで操作して陰翳を作るのは、どうもずるをしているみたいな気持ちがつきまとう。でも、あまり露出のことに拘泥するのはやめた方がよいかもしれない。と思いつつ、何か世界のありようを掴まえ損ね続けているような気がするのは単なる損な性分ということか。