平野啓一郎『葬送』を読む

昨晩、数日ぶりに電子メールをチェックしたら、『横浜逍遙亭』をお読みいただいた見ず知らずの方から9日にご連絡があり、12日のサイトウ・キネン・フェスティバル松本で催される小澤征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラのコンサートの代役を捜しているが代わりに行かないかとの打診を頂いていたのを知る。普段であればメールをチェックしない日はないのだが、タイミング悪くなしのつぶてになってしまい、たいへん申し訳ないことをしてしまった。


遅まきながら出演者と曲目をチェックしたら、こんな感じ。

■サイトウ・キネン・フェスティバル 2006 プログラムB

たまたまこのブログで名前を取り上げた指揮者の小澤征爾さんとピアニストの内田光子さんが協演するコンサートだ。ベートーベンの「皇帝」コンチェルトも、ショスタコービッチの「革命」もいまぜひ聴きたいという曲ではないものの、このサイトウ・キネン・オーケストラ小澤征爾が出演するこの音楽祭は、チケットを取るのも一筋縄ではいかないクラシック好きにとっては大きな夏のイベントである。お譲りいただいて出かけるのも面白かったかもと思う。ブログを書いているとこういう情報の往来もあるのかと、また新しい体験に驚く。


ここ数日間、仕事もブログも休んでいた間に、もう2週間も前に読み始めていた平野啓一郎著『葬送』を読み終えようと、雑事の合間を見つけては読み進めていた。今やっとエンディングに辿り着き、正直なところほっと一息。さきにエントリーしたとおり、『新潮』に掲載された梅田望夫さんとの対談相手だったのが平野さん。ところが僕は平野さんのことは何も知らず、『新潮』対談では単に梅田さんの相方として若いのに遠慮のない、挑発的な発言をするお兄さんでしかなかった。そしてとても気になった。やはり、一方の対談相手について何も知らない、一作も読んだことがないのは、フェアではなく気持ちが悪い。重要な情報を読み損ねている可能性もある。そこでまずは『葬送』を手に取ってみた。


ところで、僕が平野啓一郎を徹底的に知らないのは、たまたま自分に90年代の後半に仕事で日本を離れていた時期があり、彼のデビューがその時期にあたっていたからだ。当時、ちょうどインターネットの商用利用が始まり、そうこうするうちに日本のWebサイトもそこそこ情報発信を始めたのだったが、今と比べると情報量はまだ限りがあり、どの分野の情報も潤沢に入手できる状況ではまだなかった。


僕自身も仕事の必要性の範囲を超えて日本の情報を一所懸命に集めることをしていなかったので、4年数ヶ月ぶりに日本に戻ったとき、あれっと思うことがそれなりにあった。例えば、街頭であれっ外国人がたくさんいる、と思って、よく目を凝らせばどれも金髪に髪を染めた日本人なのだったし、消費税が上がっているのを買い物をして実感したり、いつの間にか新しい地下鉄が開業し、知らない名前の野球選手や相撲取りがたくさんいた。そんな調子だから、芥川賞作家・平野啓一郎も知るよしなし。


つまり、これを読むおおかたの方は知っていることを、いまさらながら感嘆してみるためにこの文章が書き綴られているのかもしれない。そうだとしたらごめんなさい。


それにしても、ショパンジョルジュ・サンドショパンドラクロワの関係を中心に、パリ社交界の寵児であったショパンの絶頂期から死に至るまでを追った平野さんの筆力は、とうてい二十代半ばの人間の技とは思えない。第一部、第二部あわせて千数百ページ、原稿用紙にすると二千数百枚になるであろう大作を可能ならしめた調査力、構成力、文章力には努力の範囲を超えた天賦の才がはっきりと刻印されている。行き着く先は見えているにもかかわらず、やたらと長く、時代錯誤的に漢語的表現や漢字が多く、細かい情景説明と心理描写に溢れ、ものの役に立たない芸術論や人生論が何度も繰り返される、ある意味、古典的な小説らしい小説のスタイルを模倣した作品。だから、一定の貴重な時間を物語にとって食われることに喜びを感じる小説好きでなければとても読み切れない代物である。これを二十代半ばの著者が描ききったとは僕には奇跡のように思われる。きっと三島由紀夫が世に出たときに世間が感じたであろう驚きもこんな風だったのだろうと想像してみることすらできる。


この意図的に読みにくさを前面に出しているとさえ思える小説に対して、どのような評価が与えられているのか、僕にはまったく知識がないが、有名な文学賞を受賞したという話を聞かないところをみると、平均的な読者のみならず、出版界もまた説得はされなかったというところだろうと思う。平野さんが日本の文学史に名を残すような作品を書くのはもっと先なのだ。彼の技術は年齢を優に超えており、化け物と言ってもよいほどだが、しかしというべきか、むしろそれゆえにというべきか、平野さんが平野さんとしてもっともしっくりとする年齢に彼はまだ達していない。


こんなことを考えたのは、さきに聞いた茂木健一郎さんと菊池成孔さんの対談の記憶があったから。対談の途中、お二人に対して「今の若い人を見ていて、自分たちの世代とどういうところに違いを感じるか」という質問があった。これに対して、菊池さんは学生を教えてている経験から、今の学生さんたちのダンスに対するセンス、音を聞くと自然と体が動き出す身体感覚が自分たちにはないものだという点を指摘していた。これは僕も子供やその友達を見ていて常々感心させられるところなので、実に納得する回答だった。


これに対して茂木さんの回答はなんともつれないもので、「別にないなあ」、「何も変わってないんじゃないかと思う」というようなことを、やはり大学で学生さんに向き合う経験に照らしてひと言。茂木さんは、今の自分自身、彼らと同じ問題意識や感覚をもって彼らに接しており、重要なのは年齢ではないという内容の回答をしていた。ある意味、質問者の意図をはぐらかすような回答で、菊池さんの答えの方がはっきりと誠実さが伝わるのだが、異様に情報量が多い対談のなかでも、とても印象に残ったやりとりだった。


言い換えれば、世間一般の通念に照らして考えると、茂木さんは永遠の二十才なのだ。彼が三十代前半で書いたエッセイ『生きて死ぬ私』がいま版を重ねて読まれることに何ら齟齬が生じないのは、それゆえのこと。これに対して、平野啓一郎さんが到達を目指している地点は世間的な通念で考えると中年から老年にかけて達成されるべきものであるように感じられる。おそらく、そこに至るまで大いなる前進を続けていく作家なのだと思う。


あらためて『葬送』に戻ると、小説の中で僕がもっとも感銘を受けたのは長大な全編のなかで唯一枚数をかけて記述されているショパンのピアノ演奏の記述。1848年に開催された公開演奏会の模様だ。音楽の演奏をこんな風に文字にできる才能がいったい他にあるだろうかと呆れるばかりの見事な文学的達成だと思う。この大時代的小説の発端は、ショパンの音楽に対する平野さんの愛情にあると思いたい。そうでないとしたら、ショパンの音楽は単なる素材だとしたら、この人は本物の化け物だ。