菊地成孔さんの印象

昨日、茂木健一郎さんと菊地成孔さんとの対談を聞いた話を書いたら、昨晩から今日にかけて「菊地成孔」をキーワード検索してここに来てくれた人がたくさんいたので驚いた。数えてみるとおよそ20人。昨日白状したとおり、菊池さんのことを何にも知らない僕は「小澤征爾さんのことを書いた日には3,4人しかいなかったのに」と反射的に驚いてしまうのだが、おそらくこんなことを書いたら多くの人に笑われたり、呆れられたりするようなビッグネームらしいことだけはよく理解できた。いつもここでコメントをしてくださる『三上のブログ』の三上さんも大いに影響を受けているミュージシャンだという。

■鬱と美(『三上のブログ』2006年9月5日)


じゃあ、と悪のりして、今日は昨日アップルストア銀座でお見受けした菊地成孔さんの印象をちょっとだけ書いてみたい。2時間弱の対談を見聞きしただけの人間が、何かを書いて、それを読みに来てくれる方々がいるというのが実にWeb的で面白いと思う。菊地成孔というキーワードを熟知しているだろう方に対するメッセージ性は低いかもしれないが、トライしてみようと思う。


僕が菊池さんに持っていた情報はこのWebページに盛り込まれていたものだけ(http://www.clubking.com/news/2006/08/post_38.html)。一度、茂木健一郎さんのしゃべりを生で聴いてみたいと出かけたイベントなので、相手が誰でもよかったのだ。だから、菊池なにがし氏が音楽家で、文筆家で、大学講師というマルチな才能の人であることと、色メガネをかけたとっぽい兄ちゃんみたいな人だという印象だけ携えて僕は銀座に出かけた。


茂木さんと一緒に出てきた人は、一見してくだんの写真のイメージを裏切るお兄さんだ。メディアのイメージは本物を容易に裏切る。一枚の写真はなおさら。菊池さんは写真同様やはりサングラスをかけていたが、サングラスの向こうに、サングラスをかけたとっぽい兄ちゃんのイメージの向こうに菊池さんが隠しそうとしたものは、茂木さんとの掛け合いが始まったとたんに露わになった。それはとても素敵な印象だった。


話が始まると、菊池さんはジャズのプレイヤーで、サックスを吹くことが分かる。アメリカでも演奏した経験があることも分かる。単にサックスを吹けるだけではなく、音楽理論について博学であり、クラシックからジャズ、現代音楽にいたるまで、音楽史をご自身の経験に重ねて語ることができる理論と実践の人であることが分かる。不安神経症を病んだ経験をお持ちのことが分かる。ご自身をフロイト主義者と自称していることが分かる。そんな風にして、機関銃のような言葉の応酬を聞いているうちに菊池さんのバックグランドや能力や、嗜好、思考の方法、人柄、そんなものがどんどん明らかになっていくのがスリリングだった。まったく背景知識がない方の話を聞くのはなんて面白いだろうと思ったが、それは相手が菊池さんだったことが大きかったはずだ。


菊池さんの頭の回転の速さ、専門分野、その周辺分野の知識の豊富さには率直に感銘を受けたが、でも、それ以上に、もっとも印象に残ったのは、最後の質疑応答のコーナーでの年若い質問者の人たちに対する「です・ます」調での丁寧な受け答えだ。とても心優しい方。ものすごく繊細で周囲に鋭敏に反応する方。茂木さんが若い人たちに接する仕方は、いかにもこの人学校の先生だなぁと思わせるものがあるが、菊池さんは僕にはそんな風にちょっと見えないところがあった。茂木さんに対しても、菊池さんは自然というか、無理矢理というべきか、相手に合わせてしまうところがあって、この方の人の良さと弱さ、人間としてのかたちが表れていたと思う。


あの優しさと鋭敏さがどんな音楽を生み出すのか。いま俄然、菊地成孔という名前に興味が湧いている。