梅田さんによるともっとも過激な連中が保守本流らしい

この数日、ブログでは音楽の話ばかり書いているのだが、オフの時間は頭が音楽になっている一種の躁状態。素人の音楽談義なんか面白くないだろうと、ブログを書き始めた当初は遠慮しながら文字にしていた音楽話だが、先日、三上さんとmmpoloさんと歓談した際にそんな話をお二人にしたら「もっと書いてください」と言われてしまい、おちょうしに乗っているのである。我ながらおめでたい。でも、もう少し行ってしまうと、ほんとに音楽マニアにしか面白くない話に突入してしまいそう。この先、十分な自制心が働くだろうかとちょっと心配。


梅田望夫さんの「「ビスタ」を無意味にするグーグル「二つめの顔」」を読んだ。


http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u125.html


面白い。梅田さんのITの話は誰よりも分かりやすい。旬の話をとりあげて、専門家ならではの情報を圧縮し、素人にも理解できる言葉で要約してくれる。ここが人気の源泉だろうなと納得。最近の梅田ブログはあまりに断片的な話が多くてイマイチだけど、短くてもちゃんとしたものを仕上げてくるとさすがだねえと思う。


梅田さんの文章で感心するところ。例えば「グーグルCEO(最高経営責任者)のエリック・シュミットはことあるごとに『グーグルという会社は、コンピュータ・サイエンティストによって経営されている会社だ』という言葉を発するのだが、それは自らがシリコンバレー保守本流なのだという強烈な自負の現れである。」というフレーズが出てくる。なるほど、シリコンバレーというのはそうやってローリング・ストーンであり続けることが価値である場所なのだという事実が、この一言で描出されている。言葉が無駄に使われていない。


つまり、音楽では、バッハ(好き)は保守本流ジョン・ケージ(好き)、菊地成孔(好き)は傍流となるはず。いや、音楽ばかりではなくて、あらゆる世界で保守本流は、根っこのところで古いものにつながっていて、冒険をしない一派であるはずなのに、シリコンバレーでは、ネットワーク・コンピュータのような追求するべき未来、実現していない未来を目指す人たちがそうだと梅田さんは言うのだ。なるほどねえ、と呟くしかない。