宮田大チェロリサイタル

昨日はミューザ川崎で宮田大さんのチェロを聴いた。
チェロのリサイタルを聴くのは生れてはじめてのこと。弦楽器のリサイタル自体、これまで一度も行ったことがない。自分自身に対して「どうした風の吹き回し⁈」と言いたくなる選択なのだが、ちゃんと理由はあって、数年前に宮田大を一度聴いてびっくりしたことがあったのだ。

記録を見ると2013年11月だが、上岡敏之指揮するところの読響がラーンキの独奏でブラームスピアノ協奏曲第2番をやった。第3楽章でチェロの独奏がピアノに絡むのが印象的な曲だが、その独奏があまりに素晴らしく、ラーンキのピアノを食ってしまうというほどに光っていた。その時は、「日本のオケもトップ奏者になると、あんなにうまいんだね」などと連れと話しながらサントリーホールを後にしたのだが、そのソロが宮田大だと知ったのは、コンサート後数日経ってからのことだ。たしか、誰かのブログにその事実が書いてあったのを読んだのだと思う。

小澤征爾と水戸室内管弦楽団が宮田大とハイドンのチェロ協奏曲第1番を演奏するドキュメンタリーを見ていたので、その存在は知らないではなかったが、本物をそれと知らずに聴いたインパクトはかなり強く、あれが小澤さんが「宮田大ちゃんでーす」とオーケストラに紹介していた人物かと、その美音と精妙な歌いまわしが記憶に残った。いつかはリサイタルを聴いてみたいと思った。

今回のリサイタルは、いつも出掛けるミューザ川崎だったが、去年、アンジェラ・ヒューイットがコンサートを開いたときにほとんど空っぽだった3階席までが、ぎっしりと埋まったのに驚いた。舞台映えする30台のリサイタルだから女性ファンが多いだろうという想像は当たったが、思いのほかその年齢層は高かった。若い女性は宮田大ちゃん知らないのか。いずれにせよ、中年以降のおじさんばっかりのブルックナーのコンサートなどとは同じクラシック音楽といっても別世界である。

曲目もベートーヴェンの『魔笛の主題による7つの変奏曲』を除くと、ファリャ、ピアソラ、カサド、カスプーチンと、個人的にはまったく聴かない作曲家ばかりで、演奏者ご本人が冒頭にマイク片手に述べた通り、お正月明けのライトなコンサートというノリだったが、何を弾いても聴衆を楽しませる音楽性とテクニックは、こちらのお正月気分にもぴったりと重なって、楽しい2時間となった。

ただし、3曲演奏されたアンコールの中の1曲が久石譲だったのには「あれえー」と思ったことではあったが。

夢、ノット指揮東京交響楽団の『ドン・ジョヴァンニ』

兄弟に刺されて人が死んだニュースを何度もテレビで見たのがいけなかったのだろうが、その夜にナイフを持った暴漢に正面から迫られる夢を見て大声をあげ、家族を夜中に起こしてしまった。その翌日、というのは一昨日のことだが、今度は、我が家の居間ぐらいの大きさの会議室で6人がけの会議机に座っている夢を見た。打って変わって静かな夢だった。私は3人ずつ向かい合わせで座っている一人で、ノートパソコンを開き、その画面を見ながら一所懸命に何かのプレゼンをしているのだった。
ところが、ふと目を上げると、先程まで目に前に座っていた人たちは一人も椅子にはおらず、一人は椅子の脇の地べたに腰を下ろして眠りこけており、もう一人は、何故か脇に置いてあるベッドですやすやと寝ている。さらにもう一人の背広姿の男性は音も立てずに部屋を出ていこうとしているところだった。空っぽの部屋に一人残された私は、自分のプレゼンはそれほどまでにつまらないものだったのかと、がっかりしたような、そうかもしれないなと達観したような気分の中で、次第に朝の光を感じ、温かい冬の朝が明けた。
その翌日、というのは昨日のことだが、ミューザ川崎で行われたジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の演奏する『ドン・ジョヴァンニ』の演奏会形式の公演があり、騎士団長がドン・ジョヴァンニに刺されて息絶え、さらにその2時間後、ドン・ジョヴァンニ自身が、自らなきものとした騎士団長の亡霊によって地獄に落とされる瞬間を目撃した。
ドン・ジョヴァンニは女好きの悪党で、自分が行った悪事がたたり、因果報応で地獄に落ちる。我々聴衆は、正義がなされ、悪が滅びたことに溜飲を下げ劇場を去るのだが、昨日の公演で常にまして強く心に残ったのは、騎士団長の亡霊から何度も「悔改めよ!」と迫られ、しかし「自分は臆病者だと思われたことはない」と言い放ち、改心を拒否して死に向かうドン・ジョヴァンニの潔さだった。それは架空の人物のセリフであり、何度も聴いた曲なのに、これまで感じたことのない生々しさを覚え、「あっぱれ」と一言かけたいような気分になった。
今年は大病をし、周囲にも大いに迷惑をかけたが、師走には長時間のオペラ公演を楽しむほど回復し、ミューザ川崎の最前列で声のシャワーを浴びて恍惚となり、幸せな時間を堪能できるまでになった。終わりよければすべてよしという格言を信じれば、とてもよい年になったのだと思う。最後はドン・ジョヴァンニにすべての汚れを背負ってもらい、身代わりに地獄に落ちてもらうことによって、そして多くの方の助けによって、今年は無事に生き延びた。
皆様どうもありがとうございました。来年もどうかよろしくお願いします。

ノット指揮東京交響楽団の『英雄』

2週間ほど前に前の音楽監督であるユベール・スダーンのコンサートを聴き、その好印象の余韻の中で聴いたコンサートだったが、いやはや、この日のノットと東響による『英雄』は期待をはるかに超える演奏で、大いなる満足を抱えて帰宅した。

この日はドイツの有名オーケストラのメンバー4人で組織するホルン・ユニットを独奏者に呼んで、ホルンが活躍する3曲がプログラム。リゲティの『ハンブルク協奏曲』、シューマンの『4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック』、それに『英雄』。前半は、上手なホルン奏者を揃えなければ成立しない2曲であり、楽しめた。シューマンは我が家ではテンシュテットガーディナーの録音で楽しんでおり、如何にもシューマンらしいメロディ、音色が全編を支配する、シューマンの明るい側面が表に出たいい曲だが、ホルンがうまくないとさまにならないからか、聴衆の要請がないからか、ほとんどコンサートでは聴かない。生で、上手な奏者で聴けて、とても楽しかった。

そこまでは、期待通りの「よいコンサート」だったのだが、後半の『英雄』はよいなどというレベルをはるかに超えていて、顎が落ちそうになるほど驚いた。このありとあらゆるオーケストラで頻繁に演奏される演目がかぶった埃をすべて洗い流されて目の間に現れたようなヴィヴィッドで熱の溢れたベートーヴェン。ノットの演奏に共通する上品さと桁違いの思い入れがこもったスフォルツァンドが共存する演奏。フルトヴェングラークレンペラーベームカラヤンバーンスタインなどでこの曲を覚えた我々の世代の趣味とは一線を画す、ベーレンライター以降の時代の軽快な流儀と見えながら、世界の底に降りて沈思黙考するような静寂感とマグマが噴き出すような激情が存在する世界がそこにあった。完璧な曲の、完璧な演奏。

東京交響楽団は完全にノットの楽器と化し、集中力の塊だった。オーケストラの鑑賞につきものの、合奏がどうのこうのといった類の、小姑の小言のような素人雀のおしゃべりは一掃されてしまった。

こういうのは私にとっては10年に1度出会えるかどうかのコンサートだ。感情のすべてが途轍もない充実感で満たされた夜。

栃もち

水窪富士川りんちゃんに連れて行ってもらったお菓子屋さん、小松屋製菓で栃もちを買った。
栃もちというのは、Wikipediaによれば、「灰汁抜きした栃の実(トチノキの実)をもち米とともに蒸してからつき、餅にしたもの」だそうな。





山国には、あちこちで昔からある食べ物だそうだが、生れて初めて実物を見て、初めて食べた。
あく抜きに手間がかかるらしく、小松屋さんのおしゃれな店舗には壁板に直接、その作業の仕方についてイラスト入りの説明が書かれており、なかなか作るのもたいへんな食べ物であることは、なんとなく理解した。





茶色いのしもちみたいな形状で提供されているものを購入して食べてみると、確かにこれはもちで、色が黒いからといって、もち好きに嫌われる理由にはまったくならない。味には褐色の見た目を裏切らない、なんともシブい風味が乗っている。「シブい」と書いたが、実際に「渋い」わけではなく、つまり「cool」という意味で「シブい」と言いたいのであって、この味をなんと形容すれば、分かりやすく実態に即した表現になるのかは、けっこう難しい。しかし、舌の上に乗せてみると、苦み走ったいい男であることは間違いなく、「いいね」などと呟いてみると、違いが分かる男になったような気分を味わうことができる。少々だが。

こういう味は、おそらく食べ慣れるとなくてはならないものになるのだろうなと思う。なんてことない味だが、土地の者にとってはなしでは済ませられないような食品がどこにもある。私の生まれた博多の「おきゅうと」のようなもの。そんな風に理解した。

とすれば、どこまで、その本当のおいしさを分かっているかについては疑問符付きということにならざるを得ないのだが、我が家で奥さんに小豆を煮てもらい、それを乗せて食べた栃もちは文句なくおいしかった。





松屋さんには、栃もちの中にあんこを入れた「栃もち」や、こし餡と生クリームがコラボレーションする「純正生クリーム入り栃もち」というのが販売されていて、前者の正統派和風甘味ならではの味わいもさることながら、後者の和洋統合、高めあい結婚の結果はなかなかのものだった。これはぜひ、また食べたい。





松屋さんのホームページはこちら。

https://5028seika.com/

水窪へ行ってきた

4月に手術をして半年が過ぎ、遠出をしてきた。浜松市天竜区水窪町
2週間前に川崎で催されたブログの仲間の会に短い時間参加したのが、そもそもの話の始まり。術後初めての夜の外出で懐かしい顔の数々を見たとたんに元気が湧いてきて、ワイワイとおしゃべりしている最中に「水窪、行きたいね〜」などと口走ったら、瓢箪から駒がコロコロと出てしまった。

浜松まで新幹線に乗って、それから2時間車に揺られて、夕闇が谷間を覆い始める頃に着いたところは、信州長野が目と鼻の先の山間の土地。そこで美味しい手料理をしこたまご馳走になり、奥さんを交えて楽しいおしゃべりをして、可愛いお嬢ちゃんの笑顔に癒されて、満天の星を仰いで、山の斜面の粟畑を見せてもらい、小松屋製菓の伝統の栃餅を買って帰ってきた。

楽しかったな。がんばって出かけた甲斐がありました。
富士川さん、ありがとう。



ウィーン弦楽四重奏団リサイタル

今日はミューザ川崎にウィーン弦楽四重奏団を聴きに行ってきた。かつてのウィーン・フィルコンサートマスター、ヴェルナー・ヒンクが1960年代に立ち上げた名アンサンブル。この手の名の知れたカルテットの例に漏れず、長く演奏する間にメンバーは変わっているが、ヒンクさんは70代にしてまだ現役である。よし、一度聴いてこようと出かけてきた。
曲目は、ハイドンの「鳥」、モーツァルトの「狩」、シューベルトの「死と乙女」というタイトル付き名曲3連発だった。

で、演奏会の感想だが、これはなかなか曰く言い難い類の2時間だった。ここ2年ほどは気に入らなかった演奏会の感想文を載せるのはよしておこうと考えて、その種の文章はここには載せてこなかったが、まあいいやと思い直し、今日はちょっとだけ紹介する。

結論を言えば、リーダーのお歳がお歳なので、なかなか水準に達した演奏にならず、これでお金を取るのはどういうもんじゃろのうという出来だった。

ヒンクさんは音量がなく、ダイナミックな表現ができなくなっているし、リズムもはずまないし、音程が少々怪しい箇所が頻出する。とくに前半の2曲は、第一バイオリンが旋律をリードする曲なので、リーダーがそんな具合だと曲が前に進まない。残りの3人はヒンクさんのボリュームのなさに合わせざるを得ず、勢いよく伴奏のパートがクレッシェンドするわけにもいかず、全体が遠慮がちで小さな演奏になってしまう。後半の「死と乙女」では、冒頭の暴力的な出だしは、ウィーンのカフェで典雅なメレンゲを前にまったりと倦んでいるような風情となり、曲が進行してもドラマは起こらない。

曲が終わるたびに盛大な拍手は飛んでいたが、あれはどういう意味の拍手だろう。私のような社交辞令の覇気のない拍手も混じっていただろうが、あの演奏がよいという本物の拍手もあっただろうし、演奏はよくなくても彼らが弾いただけで満足というオールドファンの拍手も少なくなかっただろう。この日の会場は、平均年齢が高めの最近のクラシック音楽のコンサートの中でもとびきり高めに感じられたので、最後のカテゴリーは案外多かったのかもしれない。

ウーロン茶で乾杯

一昨日は退院後初めて夜の時間帯に出かけてきた。
瀬川さんと下川さんの呼びかけに乗せて頂き、川崎の中華料理店での宴会。手術をした後、こうした場所に来るのは初めてで、生れてはじめての、お酒を飲まない飲み会。ご飯も少々口に入れた程度だが、1時間半の間、集まった皆さんとのおしゃべりを存分に楽しんできた。
やはり、シュンポシオンは楽しい。