夢、ノット指揮東京交響楽団の『ドン・ジョヴァンニ』

兄弟に刺されて人が死んだニュースを何度もテレビで見たのがいけなかったのだろうが、その夜にナイフを持った暴漢に正面から迫られる夢を見て大声をあげ、家族を夜中に起こしてしまった。その翌日、というのは一昨日のことだが、今度は、我が家の居間ぐらいの大きさの会議室で6人がけの会議机に座っている夢を見た。打って変わって静かな夢だった。私は3人ずつ向かい合わせで座っている一人で、ノートパソコンを開き、その画面を見ながら一所懸命に何かのプレゼンをしているのだった。
ところが、ふと目を上げると、先程まで目に前に座っていた人たちは一人も椅子にはおらず、一人は椅子の脇の地べたに腰を下ろして眠りこけており、もう一人は、何故か脇に置いてあるベッドですやすやと寝ている。さらにもう一人の背広姿の男性は音も立てずに部屋を出ていこうとしているところだった。空っぽの部屋に一人残された私は、自分のプレゼンはそれほどまでにつまらないものだったのかと、がっかりしたような、そうかもしれないなと達観したような気分の中で、次第に朝の光を感じ、温かい冬の朝が明けた。
その翌日、というのは昨日のことだが、ミューザ川崎で行われたジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の演奏する『ドン・ジョヴァンニ』の演奏会形式の公演があり、騎士団長がドン・ジョヴァンニに刺されて息絶え、さらにその2時間後、ドン・ジョヴァンニ自身が、自らなきものとした騎士団長の亡霊によって地獄に落とされる瞬間を目撃した。
ドン・ジョヴァンニは女好きの悪党で、自分が行った悪事がたたり、因果報応で地獄に落ちる。我々聴衆は、正義がなされ、悪が滅びたことに溜飲を下げ劇場を去るのだが、昨日の公演で常にまして強く心に残ったのは、騎士団長の亡霊から何度も「悔改めよ!」と迫られ、しかし「自分は臆病者だと思われたことはない」と言い放ち、改心を拒否して死に向かうドン・ジョヴァンニの潔さだった。それは架空の人物のセリフであり、何度も聴いた曲なのに、これまで感じたことのない生々しさを覚え、「あっぱれ」と一言かけたいような気分になった。
今年は大病をし、周囲にも大いに迷惑をかけたが、師走には長時間のオペラ公演を楽しむほど回復し、ミューザ川崎の最前列で声のシャワーを浴びて恍惚となり、幸せな時間を堪能できるまでになった。終わりよければすべてよしという格言を信じれば、とてもよい年になったのだと思う。最後はドン・ジョヴァンニにすべての汚れを背負ってもらい、身代わりに地獄に落ちてもらうことによって、そして多くの方の助けによって、今年は無事に生き延びた。
皆様どうもありがとうございました。来年もどうかよろしくお願いします。