ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団でブルックナーの交響曲第3番を聴いた(12月13日/サントリーホール)。
ブルックナーの3番を実演で聴くのは去年の春にマゼールとミュンヘン・フィルを聴いて以来。このコンビの演奏は遊び心満載で余裕に満ち、ここ数年聴いたコンサートの中でも指折りの素晴らしさだった。そうなると、このブルックナーの3番が自分の好きな曲であるだけに、ほどほどの満足感で終わるような演奏は聴きたくないという意識が働いてしまい、今回のノットと東響もどうしようかとだいぶ迷った挙句にチケットを買ったのだったが、予想以上によい演奏で、儲けものの気分。
意外だったのは今回の演奏が「初稿」によるものだったことで、曲が始まってから、あれ違う!とびっくり。書き直しをいっぱいしたブルックナーの中でも3番はそれらの版のどれを採用するかについて指揮者の選択が異なる曲だが、初稿を聴くのは珍しい。録音だと80年代にインバルがフランクフルト放送響と入れたものがよく知られ、僕もこれはよく聴いた。ただ、3番についてはいまもっとも演奏される3稿のノヴァーク版や2稿の方が構成的にすっきりとわかりやすく、初稿がいいと思ったことがない。あまりに冗長で、無理矢理にワーグナーの旋律を入れ込んだり、ごちゃごちゃしていて楽想の座りが悪い。
初稿についてはそう感じるのだけれど、ノットは、その複雑でわかりにくく、あるいは展開に無理があり生煮え感が強い初稿を用いて、「わかりにくいのはブルックナーの主張を捕まえていない下手な解釈の演奏だからですよ」とでも言いたげな流麗な流れを創りだし、「あの無駄に長い初稿」という感想は拒絶されてしまった。
東響のアンサンブルは素晴らしかった。分厚い音響で大団円が作られた。僕の座った席では金管が勝ち気味で、弦の響きがもっと前に出る場所で聴いたらもっとよかったかも。今年は3度ノットと東響を聴いたが、外来のオケが高くて手が出ない中で、いま在京のオーケストラの中で一番楽しめるのがカンブルランの読響とノットの東響かもしれない。