初めての水戸室内管弦楽団

昨晩、水戸室内管弦楽団の東京公演を聴いた(7月8日、サントリーホール)。

冒頭、先ごろ亡くなったバイオリニストの潮田益子さんを偲んで当初のプログラムにはなかったモーツァルトのディベルティメント(K.136)の第2楽章が演奏された。通例にはないことだが、ほとんど舞台の上が見えないほどに照明を落とし、その中を演奏者の皆さんが入場し、また演奏後も同じように照明を落として退場をするという演出は、拍手が起こるのを避ける方法として見事なものだった。「拍手はご遠慮下さい」といったアナウンスの一言もなしに、もっとも自然な形で追悼演奏の雰囲気を作り上げたプロデュース力は見事なもので、ある意味で、こうしたところにすらこの楽団の洗練度合いが端的に表出されていたのかもしれない。

初めて聴いた水戸室内管弦楽団は、この洗練という言葉が何よりもしっくりとくる団体だった。

追悼演奏のモーツァルト、闇の中から次第に照明を上げる中で浮かび上がってくる楽団の中心に立っていたのは、何の予告もなかった小澤征爾さん。当日、追悼演奏が行われると知り、曲名を聴いたとたんに、もしかしたらそういうことがあるかもしれないと想像していた展開でもあったのだが、その小澤さんと桐朋の盟友を含む水戸室内管弦楽団の弦は、これ以上ないような柔らかさと慈しみに満ちた音楽を奏でる。彼らにとって特別な瞬間で会ったであろう点を割り引いても、その演奏は普通の日本のオーケストラと比較すると一等抜きん出ているというか、比較するのがおかしいレベルであることがよく分かった。

この後、予定されていたプログラムに戻り、細川俊夫さんの2011年の作品『室内オーケストラのための<開花>』(日本初演)、小菅優さんをソロに迎えてのベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、最後がシューベルト交響曲第8番『ザ・グレート』という盛りだくさんの演奏会が盛大な拍手とともに終わったのは、もう宵も9時半を回る時間。指揮者が誰だとか、曲がなんだとかいう以前に、一段上のレベルの演奏を聴けた満足感に心が満たされた一夜だった。今度、東京公演があるときには、忘れずに行かなきゃ。

書き忘れるところだったが、この日の指揮者は準・メルクルさんだった。