旅の写真

写真をカメラが写すように写るものと達観したり、あるいはカメラが行うデフォルメを楽しむように写そうと心に決めて写す限り、写真に対する不満はそれほど生じることはないけれど、今回の白馬岳登山のように、記録のための一枚を目指したとたんに映っているものに対する違和感は拭いきれなくなる。

写した写真を初めて見る瞬間、あれ、本物の岩肌はこんな色じゃないと思ったり、雲の陰影が映っていないと思ったりすることは、ままある。その瞬間に心のなかにあった生き生きとした実感が写真の画像に置き換わってしまい、写真に写ったものが偽の真実の姿として生き続けることになる。

それを機材のせいにして、「もっとよいカメラを」「もっとよいレンズを」と考えてしまったりするが、カメラが保持できる画像には、風の感触や、雪田の横を歩く際の冷気や、汗のにおいはそもそも保持できない。むしろ、それらは文章の役回りだ。そんな不思議、小さなわだかまりを旅のスナップ写真は常に背負っている。