新しい出版の担い手を待望する

この業界に長い人に話を聞くと、雑誌を含めた出版物の市場はここしばらく“2兆円産業”という言われ方をしてきたらしい。いちばん威勢のよかったのは90年代の半ばで、その頃には2兆5千億だか、6千億円だかまで出版市場は拡大した。しかし、それ以降は坂道をゆっくりと下り続けている。“長期低落傾向”というやつだ。その出版市場が今年はついに売上高で2兆円の大台を割る可能性があるらしい。月刊誌、週刊誌の落ち込みが大きいが、一般書籍も程度の差こそあれ同様の傾向を示している。

■日本の出版売上高の推移(出版科学研究所)


このカーブが意味するところは単純だ。出版業界はもう十分に成熟産業だということである。市場は伸びず、過当競争で業界全体の収益性はよく見ても頭打ちどころの話じゃない。これからはそれこそ時間をかけてどんどんもうからない産業になっていく。巷の書店は増え続ける刊行書籍をところせましと並べて、今も多くの消費者を吸収しているし、大手出版社の新聞広告は昔ながらの華やかな装いで目を楽しませてくれはするが、明るい未来を提示できない産業は、早晩新しい産業とその担い手に道を譲ることになるだろう。

自己変革が起こり、延命が図られる可能性があるのか、そうではないのかは小さな個人にはよく分からないが、一つの視点を提示してみる。それは今年、印刷会社大手と書店大手の系列化・業務提携の促進が一挙に進んだという事実である。大日本印刷丸善ジュンク堂の資本の過半数を得て傘下に置き、経営統合を進めると、凸版印刷紀伊國屋との連携を深めている。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news010.html

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0909/29/news074.html


米国では電子出版への流れが急速に進んでいるが、川下の大手書店を川上の印刷会社が押さえるという構図が出来上がった日本では、彼らの意図を無視して出版業界の新しい動きを起こすのは容易ではない。彼らの提携は、基本的には守りのためのそれであることは明らかだから、既存の業界構造の中からドラスチックな自己変革を期待するのは簡単ではないということである。

すでに今日の出版業は、過当競争に耐えられる強固な財務体質と(過度に)マーケット・オリエンテッドなコンテンツを提供できる組織力を備えていない限り、常に生存の危機に直面する状況にさらされている。万人の嗜好を租借し、量を提供できるコンテンツを供給できる会社が一人勝ちをするという現状は、かつて我々が思い描いていた出版というビジネスよりも、もっと純粋な消費財産業、たとえば大手食品会社の存在を思い起こさせる。「Cook Do」を提供できないと話にならないというイメージである。マーケティング特色のある味の商品で「Cook Do」と競争しようとしても、小さな会社では最後には規模の経済に呑み込まれてしまうだろう。印刷会社と書店のタッグは、業界の仕組みをできるだけ従前通りに機能させ、その流れの中で出版会社に仕事をさせることを要求するようなものだ。ここから、ビジネスとしての新しさは生まれにくい。生まれない。

端的に言って、新しい出版の動きが起こるとすれば、その担い手はITの側でしかないと僕は考えている。電子書籍が視野に入ってきた現在、それが如何に普及するかが見える限りの論点になるが、それを既存の「印刷会社+出版社+書店」ではない事業者が本気で手がけて出るときに、出版の業界構造はがらっと音を立てて変動する可能性があるということだ。そのとき、我々が知っている本はすでに過去のものとなるはずだが、ここで下手なノスタルジーを発動させて、現行の産業システムを擁護する気持ちは個人的にはあまりない。