シベリウスの第5交響曲のことなど

しばらく仕事や私用で少し忙しくしていまして、ブログを含めて文章を書く時間がありません。まるで時間がないというわけではないのですが、こういうのは気分の問題で、アニマル浜口じゃないが気合いがないとブログだって書けないというわけです。気合いを入れるには、それ相応の間合いが必要です。それがなかなかとれない。その代わりと言っては何ですが、久しぶりに先日、カメラを持って散歩に出かけました。写真ブログの方にその日の記録をアップしています。

おかか1986」で拝見したのですが、ティーレマンドレスデン・シュターツ・カペレのシェフになるそうです。もう10年以上前に2度ほど彼をナマで聴いたことがあります。両方ともにニューヨーク・フィルで、曲目は二晩ともにリヒャルト・シュトラウスでした。どっしりとした構えで、しかし、ここぞというところでオーケストラをあおる仕方がなかなか私の好みで、これはいい人が出てきたなと思ったら、その後はあちこちの有名オケやバイロイトや、ともかく破竹の勢いですね。たしか、私と同い年です。いや、別にだからといってなんということもないのですが。

http://okaka1968.cocolog-nifty.com/1968/2009/10/post-8d32.html

最近は、急にシベリウス交響曲を聴いています。「おかか1986」とともに拝見している数少ないクラシック音楽ブログ「庭は夏の日盛り」で第5交響曲の初版の話が書かれていたのを読んでからというもの、どうも気になって仕方がなく、けっきょく先日買っちゃいました。

先日読んだばかりのシベリウスの自伝によれば、作曲家はこの曲を上梓するまでに自分の音楽の方向性をどちらに向けるべきか相当悩んでいたそうです。原典版が1915年、そしていま我々が耳にする最終版が1919年と4年もの隔たりがあり、書き始めから数えると、完成までに7年間を費やしています。内省的で、曲の構造が分かりにくく、一度聴いただけでは心に引っかかりにくい交響曲第4番(人によっては、むしろこの曲でシベリウスにはまってしまうのかもしれませんが)を思い起こすと、この新しいというのか、古いというのか、初めて聴く5番は、まさに第4番の系譜に連なる作品であることが素人の耳にもすぐに理解できるものです。この頃、シベリウスは、20世紀の新しい流れである新ウィーン楽派の調声への挑戦に大きな影響を受け、そうした新しい音楽への挑戦と、交響曲第2番や「フィンランディア」に代表される、分かりやすい国民的音楽の創造に対するフィンランド国民の期待との間で悩み、揺れ動いていたのだそうです。

初めて聴く「初版」には、あの印象的な冒頭のホルンの導入部がありません。曲を締めくくる、(好き嫌いはあるでしょうが)音響のハンマーの最後の一撃もありません。第4楽章には、弦楽器がかなでるおなじみの旋律の上に、調声をわざと無視したトランペットのソロが鳴り渡り、リスナーを問答無用でぎくりとさせたりもします。「祝祭的」と形容されるこの曲から、そのフレーズをはぎ取ったようなスコア。ぶきっちょな人が正直に書いたようなところがある作品です。でも、第5の美しさに何か煮えきれないもの、どこかしら不自然なものを感じていた人がいたら、この演奏を聴いてみるべきだと思います。ライナーノートによれば、シベリウスの遺族は、この録音をただの一度の機会として楽譜の使用を許可したとのことですので、このオスモ・ヴァンスカとラハティ響の演奏は唯一無二の価値を持ち続けるでしょう。

といったオチはどうでもよいのでして、大成功となった第5交響曲の決定稿で一度は捨てた何かは、明らかに6番、7番に反映されています。シベリウスは、結局7番の交響曲を書いたのち、交響詩『タピオラ』を書いた1925年以降、国際的な名声がどんどん高まるなかで作曲家としての筆を折り、死ぬまでの30年余を余生として過ごしました。この人の音楽のみならず、その人生が気にかかって仕方がない今日この頃です。

話は変わりますが、21日の水曜日は「わいわい」の2周年だそうです。当然、いかなきゃ。

http://d.hatena.ne.jp/simpleA/20091008