新日フィルと小澤征爾のブルックナー交響曲第3番

一月に同じコンビで、やはり同じ作曲家の第一交響曲を聴いたときにもブログに感想を書き、「3番辺り聴いてみたい」と書いたら、最近は年に一度しかタッグを組まないというこのコンビで、当の3番をやると教えられ、今年も会員のKさんにお願いしてチケットを入手してもらった。

「楽しめましたか」と訊かれたら、「はい、とても」と答えるのにやぶさかではない。オーケストラは、決然とした、強い意志を感じられるとでも言ったら適切ではないかと思われるような謳い回しに終始して、それはとても気持ちのよいコンサートだった。とくに一ヶ月前に同じオーケストラで聴いたコンサートにどこか釈然としないものが混じっていたので、同じオーケストラでこうも印象が変わるものかと、あらためて生きた音楽の面白さを堪能したと言ってよいと思う。

ただ、メリハリと溌剌さを感じた一月の第一番と違って、今日の3番は太い筆でぐいと書いたような演奏であり、この後に後期の重厚な作品群が控えているのを思い出させるような重心の低い解釈。こうなるとはまるで思わなかったので、ちょっと心の準備が追いついていかないのに戸惑いながら聴いた部分もある。もっと言うと、剛毅さはよく出ていたけれども、繊細さやニュアンスの変化はもっと求めたいものがあったというのが正直なところだが、その印象にどこまで解釈の問題が絡んでおり、どこからオーケストラの力量の問題なのかは素人の僕にはよく分からない。

コンサートの前半にベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番を弾いた上原彩子さんが素晴らしかった。聴き終わってから、あまりに素晴らしいので、一緒に聴いた知り合いに「若手のエースクラスの人?」と尋ねたら、「2002年のチャイコフスキー・コンクールで優勝した人ですよ」と、えっ知らなかったのという表情で驚かれてしまった。ここ数年、そういうことにとんとうとくなっている。誰がどうしたみたいなことに関心が薄れているみたい。よいことか、悪いことか分からないが。


■新日フィルと小澤征爾でブルックナー交響曲第1番を聴く(2009年1月19日)