『失われた場を探して』

先日、『アーキテクチャの生態系』を紹介したばかりですが、再び私の職場から世に出た書籍をご紹介させて頂きます。メアリー・C・ブリントン著『失われた場を探して―ロストジェネレーションの社会学』がそれです。

アーキテクチャの生態系』について、このブログを読んでいるすべての方にお勧めしたいと書きましたが、この『失われた場を探して』も、違った意味で多くの方に手にとって頂きたいと考え、キーボードに向かっています。すべてのとは申しませんが、「シュンポシオン横浜」にご興味をもっていただくような方にはぜひお読み頂きたい本です。また、梅田望夫さんの一連の著作にある角度から共感を訴えた多くの若い読者にお勧めしたい一冊でもあります。

これは日本の労働市場や仕事とをめぐる環境の変化について、実証的に研究した結果を基に、米国人社会学者が一般読者向けに書き下ろした本です。著者のメアリー・ブリントンはハーバード大学ライシャワー日本研究所に勤める社会学の教授で、本書は1990年代に日本に滞在し、神奈川県の高校や職業安定所などに対して緻密なインタビュー調査を実施した結果と種々の先行研究を踏まえ、現在の日本の若者を直撃している雇用不安の実態を分析し、その意味を明らかにすることを目指しています。日本で若者にとって社会生活を送るための「場」が急速に崩壊しつつある事実、私たち40代以上の世代が当たり前としてきた日本社会のルールが本質的に変容している事実を提示することを実証研究部分の眼目とし、その分析に基づいて、日本の青年と彼らを支援する大人たちはどのように振る舞うべきなのかについて米国という日本とは異なる文化・社会の中で暮らしてきた著者ならではの提言を加えた、知と情の詰まった作品です。英語版が出る前に日本でまず出版となりました。

優れた分析や提言を前にしたとき、私たちは往々にして感じるある種の共通した感覚を覚えることがあります。つまり「それはそのとおり!」という的をずばっと射た矢を見た快感、「それってオレも考えていたことだよ」という既視感、そんな感覚を同時に覚えることはないでしょうか。この本はニートやフリーターといった辛い労働環境に置かれる比率が年々高まっている我が国の若者の雇用実態を語り、読者にそんな錯覚を覚えさせる本に仕上がっています。

もっとも、この本に関する限り、単純にその感覚を指して、本来は一度も体験したことのないのに、あたかも体験したかのように感じてしまうことを指すデジャヴであると言ってしまうのは明らかな間違いでもあります。社会学を習った方、日本の文化論に興味のある方なら誰もが間違いなく手に取ったことのあるであろう古典的名著に中根千枝の『タテ社会の力学』があります。その中で提示された「場」というコンセプトは、日本の社会を語る者にとっておなじみの道具ですが、タイトルが示すとおり、この本は「場」の理論への信頼感を出発点にしており、さらにこの本の解説者でもありニート研究で著名な玄田有史や、『安心型社会から信頼社会へ』の著者である山岸俊男などのよく知られた日本人の研究成果を参照し、論に組み入れることに著者にはためらいがありません。既視感の源泉は、そうした著者の開かれた姿勢によって導かれており、その論が導く分析の行方が私たちが直感的に感じている部分とはっきり共鳴することにあると考えてよいのではないかと思います。

あまり種明かしはしない方がこれからお読みになる方には親切というものですが、一つだけ私にとって目から鱗が落ちる気持ちを得ることになったある記述内容についてお伝えしておきます。それは、“ストロングタイズ”と“ウィークタイズ”という分析概念とそれを使ったある実証研究の結果についてです。著者は、就職をめぐる従来の日本の方法が機能しなくなっている実態を分析するに当たって、アメリカの社会学者・グラノヴェターが書いた70年代の論文をヒントにします。アメリカでは日本とは異なり、若者が仕事を見つけるに当たって従来から個人の人的ネットワークが重要な役割を担っていますが、この人間関係には非常に親しい人間の結びつき(=ストロングタイズ)と、そうでもない知人の結びつき(=ウィークタイズ)があります。グラノヴェターの研究によれば、それまで一般に信じられてきたのとは異なり、仕事を見つける際にはウィークタイズが大きな貢献をしていたのです。ブリントンは、こうした研究結果を紹介しながら言います。

一方、日本でもっとも大きな機能を担っている社会関係資本の種類は、アメリカと異なるようだ。アメリカではウィークタイズがものを言うのに対し、日本で大事なのは、信頼できるストロングタイズをもっていることのように見える。
日本の社会で重要な役割を果たしているストロングタイズには二つの種類があると、私は考えている。狭い意味でのストロングタイズ(「人的なストロングタイズ」)だけでなく、いわば「制度的なストロングタイズ」の役割が大きいのである。
(『失われた場を探して』p61)

どうです。続きを読みたくなってきませんか。本書の翻訳は秀逸で、実に印象的な「プロローグ」部分から読者は自然と内容に引き込まれます。実証研究を解説する部分がまどろっこしいと感じる方はそれらをすっとばしても結構ですので、「シュンポシオン横浜」のようなネットワーキングの試みに魅力を感じている方がその理由のありかを論理的に説明してもらいたいと思ったとしたら、ぜひ著者の論の行方を追ってみることをお勧めします。考える素材になるはずです。

著者が最後に辿り着く結論、日本の当事者たる読者に向けた提言はというと、このブログをお読み頂いている方にはなじみのある『simpleA』の金城さん(id:simpleA)が実践し、語りかけていること、あるいは梅田望夫さんが『ウェブ時代をゆく』や『私塾のすすめ』で主張していることと見事に同じ方向を示しています。これは驚きです。むしろ当然の帰結と申し上げるべきかも知れませんが。当事者としての10代、20代、30代に、また当事者を子供に持つ40代、50代にもお勧めしたい書籍です。


失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学

失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学