ブロムシュテットとNHK交響楽団でブルックナー交響曲第4番を聴く

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団によるブルックナー交響曲第4番を東京渋谷のNHKホールで聴いた。13日(日)午後3時のマチネーで、コンサートの前半はモーツァルトプラハ交響曲

ブロムシュテットはNHK交響楽団の名誉指揮者だが、N響で聴くのは僕は初めてである。今まで2度聴いたのはどちらもやはりブルックナーで、1996年にニューヨークでニューヨーク・フィルとの6番の練習を、2002年にゲヴァントハウス管弦楽団と来日した際に5番を聴いている。今回は前日まで聴きに行く予定はなかったのだが、急に思い立って出かけてきた。

行ってよかった。やはりN響は野球で言えば巨人軍で、久しぶりに聴くと「さすが」である。東京のオケをすべて聴いているわけではないので、例えば読売日本交響楽団とくらべてどうよ、と問われても分かりませんと答えるしかないのだが、新日フィルや都響など僕がそれなりに聴いたことがあるオケに比べると抜群の安定感である。この前にN響を聴いたのはシャルル・デュトワ音楽監督としての最後の定期演奏会にお誘いを受けて出かけたときなので、もう数年前のこと。その時の幻想交響曲も「さすが」の演奏だった。

でも、あのNHKホール、二週間前に紅白歌合戦を賑やかに開催していた巨大ホールは、音響的にまるで生の音楽を聴く楽しみがない場所なので、それがN響のコンサートを遠ざける大きな理由のひとつになっている。僕は安いチケットしか買わないから、いつも舞台を遙か遠くに見晴るかす3階席で、そこに座って演奏者を見下ろしていると、まるでFMラジオで音楽を聴くような、固くてちまっとした音が聞こえてくる。デュトワのときも演奏は素晴らしかったが、あまりにホールの響きに馴染めなくて、「ハッピー」という感想からは遠い演奏会になってしまった。

そんなイメージが強いNHKホールでのコンサート、それも豊かな残響があってこそ映えるブルックナー交響曲が演目とあって、「行かない」と決めていたのだが、急に「ブロムシュテットも80歳、もうこれを逃すと、あの人のブルックナーも聴くことができなくなるかもしれない」という考えが頭をよぎり、けっきょく電車に乗ってしまった。

そもそもブロムシュテットブルックナーは好物のうちである。この人の端正な解釈で聴くと、実演では録音以上にと言ってよいと思うが「ブルックナーを聴いた」という気分になる。NHKホールのデッドな音響空間でひどくがっかりしたとても、今回ばかりは聴かないよりはいいかもしれないと前向きに思い直した。

たぶん「ひどい、ひどい」という先入観が勝っていたからだろう、久しぶりに聴くNHKホールの3階席は、予想に反してそれなりに耐えられるレベルだった。だいたい、善し悪しの客観性などあやしいもので、同一人物の評価ですら、その時の体と心の状況でいかようにも変化する。とすれば、話は少しそれるが、他人様が語る善し悪しは、それなりに信頼が置け、かつその人のものの見方を分かっている人でないかぎり話半分で聴いておくに限るということになる。

座ったのはE席と名付けられた自由席で、いつからそんなものができたのか、N響にかなりご無沙汰の僕は全く知らないのだが、3階の両翼、正面後方のかなりの数の席が1500円で聴けるようになっている。この価格ならばときどきは聴きに来たいと思った。昔、1974年の第九を聴きにはじめてこのホールを訪れたときには僕は中学校3年生で、一番安い席を買ったら、たしか最後列から数列だけがその最安値シートに割り当てられていたっけ。いつの間にかN響のコンサートもデフレになったものである。

前半のプラハは、半分寝ていた。とても立派なN響様らしい演奏だったと思うが(指定の反復を全部行っていたようで、すごく長かった)、あの席で小さな編成のモーツァルトを聴いてもあまり面白くない。聴きに来たのはブルックナーだ。

ブロムシュテットは大きくテンポを揺らさない。金管はよく鳴らし、全体の見通しがよく、すっきりとしながら力強いブルックナーを作り上げる。全体にインテンポではあるが、ここぞという大きな山場ではぐっとルバートをかけて、しっかりと見得を切る。そのバランスやよし、というのが僕のブロムシュテットブルックナー観だが、昨日も期待を裏切らない素晴らしさだった。80歳という年齢を感じさせない、弛緩とは無縁の颯爽としたテンポ。いつも聴いている20年前のシュターツカペレ・ドレスデンとの録音と基本的なスタイルはほとんど変わっていない。決して美しいだとか、格好いいというバトンテクニックではないが、名指揮者の常で、彼の棒を客席で見ていると音楽がよく見える。

ブロムシュテットの右手が大きく上に上がって停止し、第4楽章の最後の音は鳴り終わった。その瞬間から、一拍を置いてしずしずと拍手がやってきた。指揮者が挙げた右手をおろすと同時にそれまで背負っていた荷物を下ろしたような、ほっとした雰囲気が後ろ姿に表れると拍手の数は増え、彼が客席を向いておじぎをするとそこに数多くのブラボーの声がかぶさってき、拍手はさらに熱狂的なものになった。自然で素敵な観客の反応だったと思う。ほんとうはもう少し、音のない時間を欲しかったのが正直なところだが、20年ぐらい前は、あの一拍の余韻もあらばこそ、終わったとたんに拍手とブラボーを提供するひどい輩が多かったことを考えれば、東京のお客はその一拍分だけ進歩したことになる。物事が変わるのには、思った以上に時間がかかる。

まだしばらく聴けるかな、ブロムシュテット


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

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