ポール・ホーケン著『ビジネスを育てる』

いわゆるビジネス書として出版されている類の書籍で、楽しみの読書の際に手に取る気になるものはほとんどない。少し極端な言い方ではあるが、ドラッカーの著作はその例外ではないかと思っている。そもそも、ドラッカーの文明批評的な色彩を持つ著作をビジネス書と呼んでよいものかどうか自体大きな疑問ではあるけれど。

今日ご紹介する本は100%ビジネス書である。それもある種のハウツー本である。つまり、ここに書かれた類のノウハウにご興味がある向きではないと読む気にはならない実用書の範疇には収まっているのだが、ドラッカーの文明批評の示唆するところを実際に生きている起業家がビジネスのノウハウについて語っており、その語りにデリカシーがあると実用書も人生論の域にまではやすやすと到達するという好例になっている。

本書『ビジネスを育てる』は、著者がボストンで自然食品の会社を立ち上げた頃の経験、園芸用品の通信販売の会社を立ち上げた経験などを基にビジネスを立ち上げ、育てるにはどんな心構えと留意が必要なのかについて自身の体験から語ったものだ。この本、図書館で見つけて何気なくページをめくってみたものなのだが、「へえ」だとか「なるほど」と言いたくなるようなフレーズがいくつか目に飛び込んできて結局一巻すべてを読んでみることになった。著者自身の「日本の読者の皆様へ」によると、出版以来17年で200万部が売れ、31の言語に翻訳されて50を超える国で読まれているのだという。

著者のポール・ホーケンはアメリカ人。日本でも『自然資本の経済学』(日本経済新聞)、『サステナビリティ革命』(ジャパンタイムズ)などの訳書が出版される作家であり、同時に20代から自然食品、園芸用品などの小売りベンチャー、ソフトウェア会社、ファンドなどさまざまな事業を立ち上げて成功している起業家でもある。

一読、前向きに人生を送ろうとしている若い人の心にフィットする何かを確実に持っていると思った。そうでなければ50以上の国で翻訳されて読まれているなどということが起こりえるわけがない。著者は日本版への前書きで次のように書いている。

『ビジネスを育てる』の根底には、「人は自分の大志を、ビジネスの世界でも思いっきり表現することが可能である」というテーマが流れています

この小さな書物には、実はとてつもなく大きな秘密が隠されています。その秘密とは、「欠陥だらけとはいえ、ビジネスこそが、人類が自らをアート、文学、劇場、そして社会活動として表現できる、まっとうな手段なのだ」ということです。

ホーケンが起業した1960年代後半のアメリカでは、企業は悪者で、ベンチャーを立ち上げることも卑しい行いととられかねないムードが充満していたのだという。

反感の多くは大企業に向けられたが、スモールビジネスも例外ではなかった。「起業家」という言葉を聞くと、人は「金に群がるアリ」のようなご都合主義を連想した。「チャンスを狙う」といった、前向きでよいニュアンスで受け止められることはなかった。
(同書第1章より)

僕が生まれて初めてアメリカに行ったのは会社の出張で、時はすでに90年代に突入していた。そのときの印象が心に残っているので、ベトナム戦争の時代のアメリカにはそんなだったんだと聞くと意外の感に打たれる。ホーケンはそういうものではないビジネスを志し、そういうものではないビジネスに成功した人物であると言えば、読書案内としては「あとは本書をお読み下さい」と言っておけばよいような気がする。

成功とは攻撃的になったり、一日18時間働いたりすることを指すのではありません。また、お金に対する強欲さや欲望でもない。あくまで自分自身の内なる声と、自分を取り巻く世界に実をすますことを指します。
(日本版への前書きより)

第一章から第十章までのタイトルを紹介しておこう。


「第1章 あなたらしさを実現するために」
「第2章 成功のヒント、成功のワナ」
「第3章 小さくても大丈夫」
「第4章 グッドアイデアだと思ったら時すでに遅し」
「第5章 成長の秘訣」
「第6章 お金」
「第7章 商売のセンス」
「第8章 まず顧客に「パーミッション」をもらうことから始めよう」
「第9章 顧客の視点から学ぶ」
「第10章 良い仲間で会社を作ろう」


日本版の前書きによれば、本書は二つの異なるグループを意識して書かれている。第一は「大企業に勤務している人(あるいは、過去勤務したことのある人)」。二つめは、「学生、アーティスト、活動家」である。たしかに大企業で仕事をしている人でも、サービス開発に携わっている人にとっては大いに参考になる内容だ。第一、第二とほとんど重なってしまうが、ついでに僕としては第三のグループとして『ウェブ進化論』と『フューチャリスト宣言』を読んで、「よしやるぞ」と思った若い人たちのグループも、本書の潜在的読者にもっとも適切な読者として加えたい。

日本版を出版しているのはバジリコ出版という名の、あまり聞いたことがない出版社。訳はコンサルタントの坂本啓一さん。この翻訳がすばらしい。読みやすい語り口の日本語にほれぼれした。


[rakuten:book:11359802:detail]