アバドの近況

ニューヨークタイムズが指揮者のクラウディオ・アバドの近況を伝えている。6年前に胃ガンを発病し、胃の大半を切り取ったアバドだが、元気に指揮台に立っているようだ。カラヤンの後釜としてベルリン・フィル音楽監督になり、一時はベルリン、ウィーン、スカラと欧州のスター楽団を掌中に収めていたアバドだが、90年代の終わりから派手な動きはとんと聞かないようになってしまった。


とくに彼のことに大きな興味は持っておらず、したがって最近はどうしているのかまるで知識がなかったが、この記事を読むと、マーラー室内管弦楽団ルツェルン祝祭管弦楽団など若手中心のオケばかり好んで指揮しているらしい。ベルリン・フィルのシェフに就任し、飛ぶ鳥を落とす勢いの時分ですら、この人はカラヤンマゼールらのようなぎらぎら感とは無縁の、不思議な雰囲気を漂わせていた。

僕はアバドを好んで聴いてきた訳ではないのだが、病気を経て彼自身が変わったと言っている。

「胃を取って新しい人生を見つけました」と彼は言う。「以前とは異なる考え方をするようになりました。感覚が別物になりました」
(NYタイムズより)

「以前よりも多くの旋律が聞こえるようになりました。今まで聞こえなかった音が聞こえるのです」
(同上)

こうした言葉を読むと、今の彼が若い人たちのオケ、小規模の編成のオケとどんな音楽を志向しているのか少なからず興味が湧いてくる。僕ははるか以前の1980年に欧州で、さらに98年、99年にはアメリカでアバドを生で聴いたが、98年のブルックナーの第5交響曲は噴飯ものと言いたくなるデリカシーのなさだった。ベルリン・フィルをかつてのロシアのオケのように鳴らしまくり、ファンファーレをひたすら突き上げるような単調な演奏に接して、アバドはこんなんじゃなかったはずなのになと思った。それが病気を経て、今までに聞こえなかったものが聞こえるようになったという。76歳にして。ちょっと、興味がある。


■For a Maestro, Energy Is the Only Limitation (New York Times August 21, 2007)