カラヤンの独自性

僕が物心ついた頃には、カラヤンの音楽はレコードや放送を通じて世界中でもてはやされており、もちろん日本もその例外ではなかった。子供の頃にそうだったということは、つまり、僕はカラヤンの本当の衝撃を知っている世代には属していないということを意味している。我々の上の上の世代、フルトヴェングラーワルタートスカニーニストコフスキーといった人々の録音で管弦楽の世界を楽しんできた人々にとって、当時の若手指揮者であるカラヤンが紡ぎ出す音楽は本当に異質な何かだったんだろうと想像はできるが、それが単なる想像の域にとどまらざるを得ないのは、19世紀後半の横浜村の漁師にとって、初めて接した異人さんにはびっくりしただろうなと想像するのと同じである。

僕らの子供の頃はクラシック音楽といえば、カラヤンだった。相撲は大鵬で、野球は巨人だったように、クラシック音楽のアイコンはカラヤンだった。彼の写真が大きく表紙を飾る名曲アルバムはどこにでもあった。さまざまな著名指揮者が指揮する過去の演奏をレコードで聴き、その上で「カラヤンは特殊で、だからカラヤンはこんなにももてはやされたり、叩かれたりするんだ」と気がついたのは、彼の上をしこたま通過させられた後のことだ。“アンチ”を名乗るからには、それなりに相手のことを知っていることが条件であるが、団塊の上から僕らより少し下の世代までの広い年齢層で、クラシックを聴いていてカラヤンのあれこれの録音を避けて過ごしてきた人がいるとは信じられない。それは、ITにかかわる仕事をしていて、俺はマック使いだからビル・ゲイツがどんな人物かなんて知らないと言っているに等しい。

日本語のWikipediaカラヤンを引くと、最大公約数としてのカラヤンが次のように表現されている。

カラヤンはオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルを取った、現代的指揮者の代表である。彼自身は若いころからこのスタイルだったようで、30代の時に務めた市民オーケストラでは、あまりの完璧主義にコンサートマスターから暗殺計画を持ち出されたほどだといわれる。こうした音楽傾向は一部の評論家には音楽の音響面の美しさばかりを追求していると感じられたため、「音楽が大衆に媚びている」「音楽のセールスマン」「精神性が感じられない」などと批判されることもあったが、彼の正確さと完璧さの追求は、LP時代から「カラヤンのLPは買っても裏切られることは少ない」という信頼感につながった。

カラヤンの音楽的特徴は、レガートの徹底的に使用し、高弦を鋭くさせ、(1960年代後半から)コンサート・マスターを2人おき、コントラバスを10人ないし12人と大型演奏にすることにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現したことにある。どんなに金管が鳴っていても、内声や弦パートがしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。

終戦直後にレコーディング・プロデューサーに草分け的存在だったウォルター・レッグに見いだされ、レコーディングを自身のキャリアアップの中心的な手段として認識し、CDの誕生にかかわり、DVDをいち早く支持し普及を支援するといった一生を送ったカラヤンは、こういう表現がどこまで適切かどうかよく分からないが、戦後工業主義的価値観の申し子的存在だった。お高くとまって見える立ち振る舞い、棒を振らせれば正確無比の流麗なアンサンブル、世界中で販売されるレコード、財産がっぽがっぽ、自家用ヨットや自家用機、本来そうではないのに、貴族の末裔であることを示す「von」を付ける俗物性といった事実から、ある種の文脈を意識せざるを得ない類のリスナーは、カラヤンに満足することは世の中のありようを無批判に受け入れる体制的メンタリティの持ち主であるという批判の存在を頭の片隅で意識させられる。そのような面倒な時代が、かつてはこの国にもあった。こうした感覚に対し、「そんな当たり前のことをいまさら書いても」とおっしゃるか、「へえ、なんかよくわかんないけどそうなんだ」とおっしゃるか。世代の境目を表現するのにカラヤンに対する受け止め方の違いは一つの分かりやすい指標となるような気がする。

どうもポリス的動物である人間は、誰に頼まれている分けでもないのに自分の主義主張が社会の中で奈辺に位置しているのかをどこかで気にしているらしく、僕も自分の中にある政治的価値観や人生観とカラヤンが突き進むモダン人生とが折り合いを付けられないということが、音楽を云々する際に影響を及ぼさなかったと断言できる勇気はない。しかし、そこを認めたとしても、鉄壁のアンサンブル、過剰なレガートへのこだわり、主旋律を際立たせ、分かり易さをとことん突き詰めるかのような解釈など、カラヤンが提示した音楽が「イエスか、ノーか」とリスナーの評価を求めてくる独自性を備えており、それが議論の的になっていた点は間違いない。むしろ、当時音楽産業を中心に醸し出される雰囲気の中には、カラヤンの独自性を普遍性へと読み違えることを強要するムードがあり、“アンチ”リスナーはそこの部分に苛立ちを感じたのだと思う。彼の後に続く20世紀後半のスター指揮者たちを見れば、正確性の追求という点でほとんどの人々がカラヤンの地場の中にいたと言ってもよく、音楽を工業製品と同じようなメンタリティで測る価値観は、いまだに極東の島国にも影響を残しているように思われる。自信家のカラヤンも、ここまでの影響力は意識していなかったのではないか。どうだろうか。