アマオケは楽しい

中学・高校で一緒だったU君からワグネル・ソサエティー・OBオーケストラの定期演奏会のチケットを送ってもらう。1974年創設のオケの第60回記念の演奏会は8月6日のサントリーホールプーランクの『牝鹿』組曲ベートーヴェンの第9というおしゃれな取り合わせである。第九を聴くのは二十数年ぶり。真夏に聴くのは初めてだ。

以前は好んでプロのオーケストラを聴きにいったが、最近は友人が参加しているアマチュア楽団の演奏会に呼んでいただくのが楽しみになっている。この2年ほど、2月の港北区交響楽団、6月の緑弦楽合奏団という地元横浜の団体の定期公演に呼んでいただいているのだが、プロの演奏会にはない温かい雰囲気の客席に陣取って手抜きのない演奏を聴くと血と筋肉がゆったりとほぐれていく感じがする。

プロの演奏会でも、アマチュアの演奏会でも、クラシックの演奏会では二つの次元で音楽を聴く意識が動く。一つは演奏家の技術を聴こうとする意識であり、もう一つは作曲家の書いた曲そのものを聴こうとする意識だ。

テクニックについて言えば、プロの演奏会では弾いていることそれ自体に圧倒される経験をすることができる。僕はヴィルトオーゾと言われる人たちを聴くのが大好きだ。フルートのジェームズ・ゴールウェイを聴くと曲の解釈は二の次で出てくる音と超絶技巧だけで大枚を払って聴きに来た甲斐を感じる。

マチュアの演奏会では、そうした楽しみの次元は最初から忘れてかかる。その上で今年はどこまで弾いてくれるだろうと応援モードに入る。こういう言い方はとても失礼だけれど、息子たちがやっているクラブ活動の応援と同じである。もっと一般化すれば子供を持つ親の気持ちそのものだろう。この楽しみを覚えると自分のための人生は豊かになると思う。

だが、大作曲家の名曲の神髄に別の次元から光を当ててくれるのもアマチュアの演奏会だ。技術が追いつかずに曲の構造が露わになるのはアマチュアの演奏会だし、プロの演奏会では響きの中に溶けている内声部が本来の意図に反してきこえちゃったりするのもアマチュアの演奏会だ。アマチュアのスポーツ見学でもまさに同じような体験をするが、そうした体験によって僕らはその曲の、その作曲家の奥深さを知ることになる。

最後に一番言いたいこと。プロ・アマを問わず演奏が白熱すると、演奏家の名前や力量を越えて作曲家の姿が突然前面に浮かび上がってくる瞬間があるが、アマチュアの演奏会でそれが起こる瞬間を見るのはけっこう感動的だ。その瞬間を楽しみたくて、これからもお誘いいただける限りアマオケの演奏会に出かけていきたいと思っている。

■ワグネル・ソサエティー・OBオーケストラ
■港北区民交響楽団
■緑弦楽合奏団