電子書籍をめぐるイデオロギーの発露は感心しない


佐々木俊尚著『電子書籍の衝撃』には教えられるところは少なくなかったが、この本で語られているイデオロギーには納得できなかった。
佐々木さんは、(一部の)出版関係者が電子書籍の流れを批判し、グーグルはいいとこどりだと批判し、「自分たちが出版文化を守る担い手だ」と、実際には存在してもいない出版文化なるものを振りかざして既得権を守ることに汲々としていることを批判する。

既存の流通システムにあぐらをかいて何の努力もしない大手出版社がある一方で、劣化した取次システムに頼ることなく自力で書店をまわり、読者とのネットワークを構築し、良い本をたくさん生み出している志の高い出版社はいまも少なくありません。

しかしそうした編集者、そうした出版社はしょせんは少数派であり、「はぐれ者」扱いされてしまっているのが現状なのです。そうした個人や企業がきちんと光を浴び成長していけるようなしくみを、いまや私たちは再構築しなければなりません。
(『電子書籍の衝撃 −本はいかに崩壊し、いかに復活するか』より)

そして一通り悪者をこらしめたのち、こう書く。

最も大切なのは、「読者と優秀な書き手にとっての最良の読書空間を作ること」です。

僕は電子書籍の騒動が、最も大切であると佐々木さんがいう「読者と優秀な書き手にとっての最良の読書空間を作ること」をめぐって動いているとは思わないし、それが大事なことだという気もしない。それを言ってしまったら、これはしょせんある“出版文化を振りかざす”紙派と別の“出版文化を振りかざす”デジタル改革派の戦いであり、つまるところ目くそと鼻くその争いだ。既得権を持っている人の一部が「おらっちには御旗がある!」と叫んでいるのを見て、「そんな言葉にだまされてはいけないよ」と言いたくなるのはよくわかるが、佐々木さんが「御旗を持っているのはこっちだ」と書いてしまっているのは違うと思う。いま起こっていることは紙の本とデジタル本とがどっちが便利で使いやすいか、楽しいかという読者の嗜好をめぐる純粋にビジネスの争いであって、そこに倫理の御旗を掲げる意味は本来的にはないと書くべきだった。佐々木さんが書いている良書の出版社の類は、入れ物が紙でも電子でも、同じように苦労するはずじゃないかと思うのである。その意味で『電子書籍の衝撃』は語るべきところに行く前に論が幕を閉じてしまっている観がある。続きがあるということかもしれないが、この点は残念。


電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)

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