電子書籍リーダーが気になって仕方がない

この前のエントリーで紹介させて頂いた池田信夫さんのエントリーには「インターネットによって新聞や雑誌が打撃を受けたのに対して、書籍への影響が相対的に軽微だったのは、モニターで数百ページも読むのが生理的に困難なためだが、この問題は電子端末で解決された。」というフレーズが出てくるんですが、この点について「ほんとにそうだろうか」「どの程度解決されるんだろうか」と想像をめぐらしている今日このごろです。

Kindleは、id:phoさんにお会いしたときにさわらせてもらい、「なるほど、こういうものか」と最低のイメージは獲得できました。たしかに画面は見やすいです。E Inkってやつですが、よくできていますね。私の目はちらつきに弱くて、ブラウン管を見ていると、疲れて疲れて仕方がありません。液晶はそれに比べると楽ですが、文字を読むのはパソコンも、iPhoneも一定以上の時間には無理だと思います。根が続かなくなるまえに目でばててしまいます。でも、Kindleなら普通に読み続けられるのじゃないかと思ってしまいました。英語の書籍なんて限られた量しか読まないぞ、と衝動買いにストップをかけて今日に至っていますが、いまだに気になっています。

電子読書といえば、1年前、iPhoneを手に入れた直後に青空文庫のリーダー「i文庫」を購入し使い始めました。最初は面白がって、それなりに使っていましたが、そのうち自然とギブアップ。漱石の『行人』を読んでいたんですが、四六時中スクロールさせないといけない不便さ、スクロールに伴う目の疲れに音を上げて、なんともはや、途中から本棚にあった茶色く変色した文庫本に乗り換えるオチとなりました。いまもときどきiPhone読書はしていますけれど、やはりiPhoneの小さな画面と頻繁なスクロールには、うっすらと意識のうえに抑圧的なヴェールをかけられるような感じがします。この体験があるゆえに、電子読書にはいまだに「?」なのです。

そうこうするうちにiPadが発表されました。iPadならば、ちっこいiPhoneの不満は解消されるはず、ほんものの読書ができるかもしれない、などと想像したりします。Kindleの、どんくさいマン=マシン・インタフェースとはちがって、Jobsのマシンならば使い勝手やモノとしての魅力に不満は小さいはず。それにやっぱりカラーは魅力だし。とすれば、使い勝手プラスアルファをとるか、E Inkの目へのやさしさをとるかが電子読書ギア選択の分かれ道となりましょうか。

あれこれ思いめぐらしているんだったら、早いとことりあえずKindleだけでも使ってみればいいんですが、衝動買いに至らないのは、英語の本をあまり読まないというだけではなく、やっぱりまだ信じられない気分の方が強いからだと思います。昨日も、一昨日も、寝床の中であくびをして、手にした本を枕元にほいと投げ捨て、楽しい夢の世界へと参りましたが、つまりそれは、少なくとも私にとっては、紙の本が持つ重要な機能なのではないか。そういう紙の持つ得意な価値の次元を無意識に評価しているかぎり、電子リーダーには勝負の余地がないんじゃないか。そんな疑念を持つ私は、変化への適応能力に劣る保守主義者なのかもしれませんが、でも、なんだかますます紙がいいような気がしてきました。