iPadで刺激される物欲について

iPadとキーボードを購入し、家でノートパソコン代わりに使おうかと思っていたのだが、天の邪鬼の性格故に販売店の混雑ぶりを眼にすると「皆が競って買うものを自分もあわてて手に入れることはない」という気分になる。モノ自体は勤め先のUさんが予約購入したのを触っており、最低限の感触は得ている。利用は初期購入者の皆さんの評判を聞いてからでも遅くはないかもしれない。

それに触れてみて気になるところもある。重さと画面の反射だ。これはアメリカ発信の記事でも再三指摘されていたのだが、そうした事前知識や先入観を忘れて手にとって、「あ、気になるな」と思った点だ。Jobsの講演の模様をネットで見た際には、書籍はいざしらず、雑誌新聞の類については、こうした端末での読書が手軽にできればけっこう簡単に電子版の利用が進むだろうと考えた。しかし、そのときにはあくまで混み合った朝の電車で、吊革につかまりながら電子書籍リーダーを読む自分を想像していた。ところが、これはとてもじゃないが片手で持ち続けられる重さではない。この点は想定外もいいところだった。また、同じ素材だろうに、iPhoneでは気にならない画面の反射がやけに気になり、映り込む蛍光灯の像を避けながら画面に見入る自分を発見するところとなった。

iPhone体験を通じて、かのOSの使いやすさ・速さは身に染みているので、つぎはぎだらけでやたらと起動が遅いWindowsパソコのン代わりに自宅で使う手もあるのだが、だからといって急ぐこともないとは思う。僕の日常において、通勤電車で使えないと端末の価値は半減以下である。スタバで優雅にコーヒー片手にiPad、なんて空想特撮番組の世界だ。もう少し軽い端末、もう少し見やすい画面を期待して、年末のソニー製品を待つのがいいかなと思い始めている。それよりもiPhone 3Gの買い換えが先かなとも思うし。とかなんとか言いながら、衝動買いに走る危険性は常に抱えているのだが。