ここ2,3ヶ月の間、ブログを書いていない時期には私的な用事と会社の仕事だけに向き合っていた。その他といえば、人並みにWBCの動向はかかさずチェックしていたが、それ以外にはほとんど何もないシンプル・ライフを過ごしていた。珍しく音楽もあまり聴かなかった。文章に関しては、よそで書いていたわけでも、書きためていたわけでもない。普通の会社員として清く正しく生きてみた。
その結果何が起こったか。私の世界が縮んで見えるようになった。少し後ろに引いて考えてみれば、それ以前と変わったことはほとんど何もない。私の家族や、職場の同僚から見える私は百パーセント変化がないはずである。しかし、体内に満たされている水の成分はあからさまに変わっており、酸素の含有量がまるで異なるのである。酸欠状態の水に満たされた私から見える景色は、私をつつむ何かではなく、私と対峙する壁のように思われ、それはやけに手強い相手に見えた。
ほんとに人間とはそんなものだ。如何に世界を受け取るかが重要で、「私」がなければ世界は受け取れない。「私」は世界である。
そう感じたときに、その同じタイミングで、私を形成するインターネットやブログの存在、その有り難みをあらためて痛感する。そういう次第となった。この間、ブログの仲間、お世話になっている皆さんのことを忘れたことは一度もなかった。